バッハにまつわる「皆に話したくなる話」を紹介

バッハは18世紀に活躍したドイツの作曲家です。
またオルガン奏者でもあります。

bach

多くの音楽家を生み出したバッハ一族最大の存在で通称「大バッハ」とも呼ばれます。
また「音楽の父」とも呼ばれ1000曲以上を作曲しました。
しかも駄作は一曲もないと言ってもいいぐらいの素晴らしい音楽ばかりです。

その後のヨーロッパの音楽の歴史の礎を築いたと言えるでしょう。

しかし、当時の彼は今ほど有名ではありませんでした。
バッハは田舎でひたすら曲を書いて、教会のためにオルガンを弾いたりしていました。

このバッハのこぼれ話を今回はしたいと思います。

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バッハと同じ年のヘンデル

同年代では、全く同じ年の作曲家であるヘンデルがいます。
バッハとヘンデルは全く違った人生を送っています。
ヘンデルは「音楽の母」とも呼ばれています。

バッハと違い、ヘンデルは当時から大スターでした。
バッハと同じドイツ人なのですが、最終的にはイギリスに帰化をしてロンドンで亡くなります。

バッハはスターであるヘンデルに何度も会いたいと言っていたのですが、ヘンデルはその要求に一度も答えることはありませんでした。
この同学年の2人の天才は一度も顔を合わせることはなかったのです。

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バッハとヘンデルの死

バッハとヘンデルに関しては、さらに不思議なエピソードが残されています。
バッハとヘンデルは同じ医者に失明させられたというのです。

バロック時代の巨匠であるバッハの最期は、ある医者によって突然引き起こされました。

悪魔のやぶ医者ジョン・テイラー

バッハは長年にわたる仕事で目を酷使したためか、晩年には白内障にかかり、脳梗塞にかかったこともありました。
それにより命は助かりましたが、ますます視力は衰えたと言われています。
そのときに、わずかな望みをかけてバッハが依頼したのがイギリス出身の医者であるジョン・テイラーでした。

このジョン・テイラーがとんでもない人物だったのです。
ジョン・テイラーは法王庁公認・皇帝公認・貴族公認などの数々の肩書を持つ医者でした。
しかし、彼は宮廷から宮廷を渡り歩いて肩書だけを集めるヤブ医者でした。

音楽の母であるヘンデルは、1710年に故郷のドイツを出てイギリスで大きな成功を収めていました。
しかし、彼も白内障を患い視力の低下に苦しんでいました。
ヘンデルが最期の望みをかけて助けを求めた人物もジョン・テイラーでした。

当時手術をするのは公衆の面前で行われたと言われています。
麻酔も使わずにコンサートホールで手術をしていたりもしたそうです。
今では到底考えられない酷い状況ですね。

バッハもヘンデルも犠牲に

バッハもヘンデルも手術に失敗して失明をしてしまいます。

バッハは手術をした3ヶ月後に亡くなってしまいます。

ジョン・テイラーは音楽の父と音楽の母の両方ともを失明させた、とんだヤブ医者だったのです。
肩書だけを信用してはいけないのは、今も昔も変わりませんね。

バッハとヘンデルが出会っていれば、どちらかの失明は防げたのかもしれませんね。

このこぼれ話、皆さんの周りの方にも是非話してみてください。

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