京都、会津などは幕末好きにとても人気のスポットです。
しかし東京にも幕末を感じることのできるスポットは多くあります。

幕末は江戸時代ですので、幕末スポットが江戸にあるのも当然ですね。
東京では現存しているものが少ないのが悲しいところではあります。

今回は竹橋駅周辺の幕末スポットを紹介したいと思います。

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江戸城 清水門~和宮降嫁~

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清水門

住所:東京都千代田区北の丸公園1-1

江戸城の清水門は江戸城北の丸の東側にあります。
門名の由来は、昔水が湧き出ていた、この辺りに清水寺があったなど諸説あります。

清水門は国の重要文化財に指定されています。
創建年代は不明で、現在の門は1658年に再建されたものです。
田安門と共に江戸城の門の中では古いものにあたります。

当時、門の中には御三卿・清水家の屋敷がありました。
清水門は門の保存状態もよいので、時代の雰囲気も味わえます。

1861年に和宮親子内親王が将軍家に降嫁するときに入った門がこの清水門です。

北白川宮能久親王銅像(北の丸公園)

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北白川宮能久親王銅像

住所:東京都千代田区北の丸公園1-1

北白川宮能久親王は、1847年に伏見宮邦家親王の第9皇子として誕生しました。
若くして仏門に入りましたが、幕末の混乱の中、徳川慶喜の助命嘆願に一役買いました。
1868に将軍慶喜征討の中止を懇願するために、東征大総督の有栖川宮熾仁親王のいる駿府を訪れています。
そのため、その後しばらく謹慎させられてしまいました。

20歳のときには最後の輪王寺宮として彰義隊や奥羽越列藩同盟に擁立されました。
結果はご存知の通り、敗戦してしまいます。

維新後に還俗し、1872年に北白川宮家を相続しました。
のちにドイツ留学を経て、陸軍将校となりました。

銅像は北の丸公園にあります。
北の丸の工芸館の側にあり、堂々と建っていますので見つけやすいと思います。
迫力のある見ごたえ十分の銅像です。

一橋徳川家屋敷跡(現・気象庁)~徳川慶喜が幼少期に暮らした~

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一橋徳川家屋敷跡

住所:東京都千代田区大手町1-4-2

気象庁や丸紅本社の一帯は、かつては一橋家の屋敷がありました。
敷地面積は1万8000坪ほどもありました。

一橋徳川家は田安家、清水家と共に御三卿の一つでした。
御三卿は、将軍に世継ぎが生まれず、尾張・紀伊・水戸の御三家にも将軍候補がいない際に、将軍候補を擁立することのできる家でした。
そのため、将軍家の身内としての待遇を与えられていました。

1837年、水戸藩主・徳川斉昭の7男として生まれた慶喜は11歳で一橋家に養子に入り幼少期をここで過ごしました。

丸紅本社の道路に面したところに、ひっそりとあります。
当時の面影はありませんが、昔を想像して訪れてみてください。

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