九段下駅を散歩して幕末を感じよう!(東京江戸史跡)

京都、会津などは幕末好きにとても人気のスポットです。
しかし東京にも幕末を感じることのできるスポットは多くあります。

今回は九段下駅周辺の幕末スポットを紹介したいと思います。
東京で幕末を感じるのに九段下は欠かせません。
是非、1度訪れてみてください。

東京在住の方は、京都を訪れる前に身近な歴史スポットを旅してみてはいかがでしょうか。

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練兵館~新道無念流~

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練兵館~新道無念流~

靖国神社の南門前に練兵館跡はあります。

新道無念流は日本の剣術の流派で福井嘉平によって創始されました。
幕末期には、竹刀打込剣術流派としては直心影流に次いで全国で2番目に広まっていた流派です。

練兵館は、その中で斎藤弥九郎によって開かれた神道無念流の剣術道場のことです。
「技の千葉」(北辰一刀流・玄武館)、「位の桃井」(鏡新明智流・士学館)と並んで、幕末江戸三大道場の一つに数えられました。

幕末の神道無念流を学んだ人物としては、桂小五郎(木戸孝允)、・芹沢鴨(新選組)・永倉新八(新選組)・伊東甲子太郎(新選組)らが挙げられます。
新選組が目立ちますね。
練兵館だけを見てみると、高杉晋作・桂小五郎・品川弥二郎などの長州藩士が多く学んでいたと言われています。

大村益次郎銅像

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大村益次郎銅像

大村益次郎銅像は靖国神社の参道の真ん中にあります。
靖国神社のはじまりは戊辰戦争の戦没者を祀るためで、その創建に尽力したのが大村益次郎でした。

大村益次郎は長州藩出身の蘭学医で、日本陸軍の創始者でもあります。
医者出身ではありますが、西洋の兵術などの才能を桂小五郎に認められて軍隊の指揮を任されました。

この銅像は戊辰戦争中の上野戦争で大村益次郎が指揮を執っている姿だと言われています。
上野戦争では、彰義隊を一日で鎮圧するなどの活躍を見せました。

日本のヨーロッパ式第1号の銅像としても知られています。

桂小五郎(木戸孝允)邸跡(現・九段中等教育学校)

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九段中等教育学校

住所:東京都千代田区九段北2-2-1

桂小五郎(木戸孝允)が明治維新後にここに本邸を構えました。
また駒込の染井別邸と京都に別邸も持っていました。

桂小五郎は薩摩の西郷隆盛、大久保利通と共に維新の三傑と呼ばれています。

大隈重信雉子橋邸跡

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大隈重信雉子橋邸跡

住所:東京都千代田区九段南1-2-1

千代田区役所の入口の前近くに大隈重信侯雉子橋邸はありました。
ちなみに江戸幕府蔵屋敷跡も千代田区役所前にはあります。

大隈重信は1876年10月から1884年3月までここで暮らしました。
この間に新政府の大蔵卿として財務を担当しました。
東京専門学校(早稲田大学)の創始者としても知られています。
記念碑は早稲田大学の大隈講堂に似せた作りとなっています。

品川弥二郎銅像

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品川弥二郎銅像

住所:東京都千代田区九段南2-2-18

九段坂公園に品川弥二郎銅像はあります。
日本武道館の入口の田安門橋を通り過ぎた左側に九段坂公園はあります。

品川弥二郎は長州藩士で1857年に吉田松陰の松下村塾に入門します。
さきほどお話ししたように練兵館で剣術も学んでいます。
京都で尊王攘夷のもと倒幕運動に参加しました。
高杉晋作らと共に英国公使館焼き討ちの実行もしています。
戊辰戦争では奥羽鎮撫総督参謀・整武隊参謀として活躍しました。

維新後は欧州に派遣された後に、ロンドンに留学しました。
その後も軍事を学ぶため兵部省からドイツに派遣されています。
駐独公使、農商務大輔(次官)などを歴任し、第一次松方内閣の内務大臣となりましたが、その後引責辞任をします。

晩年は、吉田松陰の遺志を継ぎ京都に尊攘堂を創設しました。
そこで勤王志士の霊を祀り、同時に志士の史料も集めました。

千鳥ヶ淵

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千鳥ヶ淵

桜の名所として有名な千鳥ヶ淵ですが、幕末にも関係しています。
ここは黒船が来航していたころに、軍事拠点を築いていました。

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