読売巨人軍の不動のレギュラーとして活躍している長野久義選手ですが、ここ数年はケガの影響か思うような成績が収められていません。
ジャイアンツが優勝するためには長野選手の復活は不可欠ですね。
2016年からは選手会長に就任し、より一層の活躍が期待されるところです。

ここでは、長野久義選手の「伝説と逸話(エピソード)」を紹介したいと思います。

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甲子園とは無縁

九州の佐賀県出身の長野選手は小学校1年生から野球をはじめ6年生ではキャプテンを務めます。
九州の野球少年は中学時代までは軟式野球をやっている生徒が多いのですが、長野選手は中学時代は部活の軟式野球ではなく、硬式野球を始めました。

その後は福岡県の筑陽学園高校へ進学し、九州大会ベスト4へ進出するなど強豪校のレギュラーとして活躍しました。
甲子園は残念ながら出場できず、その思いは後輩たちが叶え、2003年に筑陽学園高校は甲子園初出場することになります。

1度目の入団拒否(大学時代)

高校時代からプロ野球から注目される選手ではありましたが、その芽は大学時代に開花します。
日本大学へ進学し、4年次には2季連続首位打者や満票でのベストナインを獲得しました。

大学日本代表にも選ばれ、国際大会でも活躍しプロ野球が現実のものとなります。
そしてドラフト会議で北海道日本ハムファイターズからドラフト4位で指名を受けました。
しかし、長野選手は巨人軍への入団を強く希望し交渉は決裂しました。

ドラフト1位で複数団競合必須の選手が「巨人以外入団しない」ことは珍しいことではありませんが、ドラフト4位でありながら「希望球団以外入団拒否」というのは珍しいですね。
自分は巨人が必要とされる選手になるという、自身があったのかもしれません。

2度目の入団拒否(社会人時代)

入団を見送った長野選手は2007年に本田技研工業へ入社します。
ここでも「東京スポニチ大会でのベスト4入りに貢献や、新人賞の獲得」「静岡大会でのMVPの獲得」などチームの中心選手として活躍しました。

そして運命の2008年のドラフト会議で、長野選手はまたしても巨人以外のチームから指名されます。
千葉ロッテマリーンズからの2位指名でした。
この交渉も決裂し、長野選手は本田へ残ることとなりました。
「バレンタイン監督との対面拒否」として当時の新聞も賑わしました。
ドラフト2位での入団拒否です。
この時点での「巨人愛」のすごさは、実は江川さんにも負けていないのかもしれません。

ようやくの巨人入り

そして2009年のドラフト会議で巨人はようやく長野選手をドラフト1位指名します。
巨人と長野選手がようやく相思相愛となったわけです。

この年の長野選手は本田で首位打者も獲得し、都市対抗の優勝も勝ち取りました。
巨人への切符を実力で勝ち取ったとも言えると思います。

入団を2度拒否して3度目の正直で巨人に入団したのは、岡本光さん以来2度目のことでした。

巨人時代

巨人に入団すると1年目からレギュラーとして活躍します。
1年目から128試合に出場し、新人王も獲得しました。
また2年目には首位打者、3年目には最多安打も獲得しました。

しかし実はこの3年目を最後に長野選手は打率は3割を超えていません。
昨年は打率.251と史上最低のシーズンだったと言ってもいいと思います。
巨人のリーグ優勝には長野選手の復活が欠かせないと言っても過言ではないでしょう。

長野選手の身体能力

特別取り上げられることの少ない長野選手の身体能力ですが実はとても優れています。

50メートル5.8秒の俊足と遠投120メートルの強肩でゴールデングラブ賞も3度受賞しています。
また動体視力がとてつもなく良いそうです。

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