皇居周辺には歴史好きにとって訪れてみたい観光スポットが多くあります。
そのうちの一つに、楠正成の銅像があります。

大きく迫力満点の銅像ですので、歴史好きでない方でも一見の価値のある銅像だと思います。

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楠正成像

kusunoki

この銅像は、楠木正成が1333年に隠岐の島から帰ってきた後醍醐天皇を兵庫でお迎えしたときの様子が表現されています。
1333年とはちょうど歴史に出てくる「建武の新政」の年のことです。
当時1331年の元弘の乱で後醍醐天皇は捕らわれて隠岐島に配流されていました。

この銅像は、別子銅山を開坑した住友家が200年記念として宮内庁へ献納したものです。
住友家が1891年(明治23年)に東京美術学校(東京芸術大学)に製作を依頼し、別子銅山の銅で高村光雲、山田鬼斎、岡崎雪聲などの手で作られました。
完成までに10年の歳月を要し、完成したのは1900年のことでした。

住所:東京都千代田区皇居外苑1-1(皇居外苑の南東側)
アクセス:地下鉄二重橋前駅より徒歩3分

楠木正成とは?

楠正成は鎌倉時代の末期から南北朝時代に活躍した人物です。
鎌倉幕府滅亡後の1333年に後醍醐天皇による建武の新政がおこなわれました。
この歴史の教科書に出てくる出来事に足利尊氏と共に活躍したのが楠正成です。

この建武の新政は長く続かず、1336年(建武3年)に足利尊氏が離反したことにより早くも崩壊してしまいます。
尊氏が離れてからは、九州から東上した足利尊氏・足利直義の軍と、後醍醐天皇方(南北朝側)の新田義貞・楠木正成の軍とで戦がおこなわれました。
これが湊川の戦いです。
結果は足利軍の勝利で、楠木軍は壊滅し正成は弟の楠木正季ら一族とともに自害してしましました。

明治以降は忠臣の鏡とされ「大楠公」と呼ばれました。

出生は不明

ちなみに楠木正成の出生は今でもわかっておらず、数々の説があります。

「太平記」によると楠木正成は河内金剛山の西に住んでいたとされており「河内の土豪説」があります。
ほかにも「得宗被官・御家人説」「悪党・非御家人説」が説としてあります。

皇居外苑は他にも見どころ満載

皇居外苑は他にも見どころがたくさんあります。

皇居外苑の大手濠の中ほどには和気清麻呂公像があります。
また近くにある北の丸公園には「大山厳銅像」「品川弥二郎銅像」「吉田茂銅像」「北白川宮能久親王銅像」もあります。

時間をゆっくりとってじっくりと周りたい観光スポットですね。

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