迫力満点の銅像は見るものを魅了します。
そして実は日本の大きな銅像トップ3は、すべて九州にあります。

1位:天草四郎 15m(熊本県上天草市)

2位:日蓮上人 10.6m(福岡県福岡市博多区)
場所:東公園
アクセス:吉塚駅から徒歩5分

3位:西郷隆盛 10.5m(鹿児島県霧島市)
場所:西郷公園
アクセス:鹿児島空港から徒歩5分

中でも天草四郎の像はダントツの大きさを誇ります。
ちなみにこれは銅像の大きさのトップ3で、台座を含めると山梨県にある根津記念館の根津嘉一郎像も同じく15mあります。

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天草四郎像

amakusa

天草四郎像は「藍のあまくさ村」にあります。
藍のあまくさ村には、熊本の特産品や海産物、加工品などが多くありお土産選びにも最適な場所です。
カフェも併設されていますので、ドライブの休憩としても利用できます。

住所:上天草市大矢野町登立910(藍のあまくさ村)

天草四郎とは

天草四郎は江戸時代初期のキリシタンで、島原の乱における一揆軍の最高指導者です。
過酷な取立てに耐えかねた島原の領民は、1637年にキリシタンの間でカリスマ的な人気を得ていた天草四郎を一揆軍の総大将として反乱を起こしました。
天草四郎は当時まだ16歳でした。

カリスマとして利用された

そのため天草四郎は最高指導者とはされていますが、実際の指揮は浪人や庄屋たちだったとされています。
また天草四郎には数々の伝説が残されていますが、これは天草四郎をカリスマ化させるために周りの人たちが祭りあげたものだとも言われています。
天草四郎が盲目の少女に触れると視力は回復したとされ、また四郎は海面を歩いたという逸話も残っています。
天草四郎は島原の乱を起こすために利用されてしまったということです。

一揆軍は幕府軍の攻撃により全滅し、天草四郎も命を落としました。
そしてその後首は切断され、原城三の丸の大手門前・長崎出島の正面入り口前に晒されたそうです。

日本史上最大の一揆

幕府の軍勢125800に対し一揆軍は37000でした。
一揆軍は全滅しましたが、幕府軍の被害も大きく死傷者8000人以上だったと伝えられています。
これは日本史に残る最も大きな一揆で、これ以降の江戸時代は幕末までこれほどの反乱は起きませんでした。

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