吹奏楽の名曲シリーズ、今回はストラヴィンスキー作曲の「火の鳥」を紹介したいと思います。
バレエ音楽としての全曲版の他に、オーケストラの演奏用の3つの組曲(1911年版・1919年版・1945年版)があります。
※1911年版は全曲版と基本的に同じ

ストラヴィンスキー

ストラヴィンスキー

ストラヴィンスキーは20世紀を代表する作曲家で、ロシアで生まれました。
1914年に第一次世界大戦の影響から故郷を離れた後は、ロシアに帰ったのは1962年の1度きりで、最晩年はニューヨークで凄し88歳でその生涯を終えました。
創作分野も多岐にわたり作風もコロコロと変わったため、「カメレオン」とも呼ばれています。
そんな「カメレオン」の作品の中で、「火の鳥」を含む初期のバレエ音楽(「火の鳥」「ペトルーシュカ」「春の祭典」)は特に芸術的評価の高い作品です。

ストラヴィンスキーの「火の鳥」は吹奏楽で演奏されることも多くありますが、元々はオーケストラのために書かれたバレエ音楽です。

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「火の鳥」は芸術プロデューサーからの依頼

ストラヴィンスキーの「火の鳥」は1910年6月25日にパリ・オペラ座にて初演されたバレエ音楽です。

音楽を依頼したのはバレエ団を持っていたセルゲイ・ディアギレフでした。
ディアギレフはロシアの芸術プロデューサーで、歴史に残るバレエ音楽の作曲の多くを依頼した人物で、その他にもたくさんのバレエダンサーや振付家も育成しました。

破産寸前だったディアギレフを救った作品

「火の鳥」の作曲を依頼した当時、ディアギレフのバレエ団は実は破産寸前でした。
破産寸前にもかかわらず、ディアギレフはストラヴィンスキーに作曲を依頼したのです。
そしてその公演会場を探すためにロンドンに渡ります。

破産寸前だったバレエ団でしたが、「火の鳥」やバレエ用に改編したリムスキー=コルサコフの「シェヘラザード」などが当たり経営を立て直します。
「火の鳥」の初演ももちろん大成功を収めました。
「火の鳥」はディアギレフを救ってくれた作品でもあるのです。

ストラヴィンスキーが駆け出しの頃の作品

「火の鳥」が作曲されたのはストラヴィンスキーが20台後半の頃で、まだ若手作曲家として活躍はしていましたが、まだ駆け出しの頃でした。
「火の鳥」の2年前に「幻想的スケルツォ」と「花火」が初演されているのですが、「火の鳥」の依頼者のディアギレフはその演奏を聴いて一目置いたと言われています。

またディアギレフの依頼についてですが、実はストラヴィンスキーは第2候補でした。
第1候補だったアナトーリ・リャードフが作曲を完成できなかったために代わりに巡ってきたチャンスだったのです。
「火の鳥」の依頼は、ストラヴィンスキーにとっても「モノにしたいチャンス」だったのかもしれませんね。

ちなみにストラヴィンスキーの初期の代表作である「ペトルーシュカ」と「春の祭典」もディアギレフの依頼によるものです。

ストラヴィンスキー「火の鳥」の吹奏楽の演奏

ブリヂストン吹奏楽団久留米の演奏

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