ビル・エヴァンスの生涯とオススメ~ジャズ名盤・名演~

ビル・エヴァンス(Bill Evans、1929年8月16日~1980年9月15日)はモダン・ジャズを代表するピアニストです。

ジャズピアニストではありますが、19世紀後半から20世紀前半に活躍したフランスのクラシック音楽家であるドビュッシーやラヴェルにも影響を受けたとも言われています。
「初めてジャズ聴くときのオススメの1枚」という企画は様々な場所で取り上げられますが、それが企画される度にエントリーされるであろうまさにジャズ界の巨匠です。

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恵まれた過程で育つ

エヴァンスはアメリカニュージャージー州で生まれ、恵まれた家庭環境の中で育ちました。
幼い頃からピアノを学び、音楽教育を専攻とし大学に入学します。
卒業後の1951年~1955年までは兵役を強いられてしまいますが、兵役終了後はニューヨークに渡りジャズ活動を本格的に開始します。
ちなみにエヴァンスの麻薬中毒は兵役の頃に覚えたものだったそうです。

その後活動は順調に進み、1956年に最初のリーダーアルバム「New Jazz Conceptions」を録音し、1958年にはマイルス・デイヴィスのバンドメンバーとして録音とツアーをおこないました。

「1959年」歴史的なトリオの結成

そして1959年に運命的な出会いをします。
それはドラマーのポール・モチアンとベーシストのスコット・ラファロです。

このピアノトリオによって「歴史的名盤」がいくつも生み出されています。

その中でも最も人気の高い作品が、この「Waltz For Debby」です。
その中でもタイトルの「Waltz For Debby」とMy Foolish Heart」は特に親しまれています。
抒情的な音楽が日本人の心を揺さぶり、このアルバムは日本だけで50万枚も売れています。

世界で一番有名なジャズ・クラブ「ヴィレッジ・ヴァンガード」

この頃のエヴァンスは、「ヴィレッジ・ヴァンガード」でしばしばライブをおこなっていました。

「ヴィレッジ・ヴァンガード」はニューヨークにある1935年創業のジャズクラブで、世界で最も有名なジャズクラブの一つです。
今でも毎晩ジャズの演奏でにぎわっている現役のライブハウスです。

Evans

「Waltz For Debby」はその「ヴィレッジ・ヴァンガード」でのライブ録音です。
当時のエヴァンスは、まだ名声を手に入れる前でした。
録音の中での「まばらな拍手」などからもその雰囲気が感じとれます。
まさかこれが50年以上語り継がれる名ライブになるとは、その当時の観客は思ってもみなかったことでしょう。

このライブの11日後にベーシストのスコット・ラファロは交通事故で他界してしまい、この伝説のトリオの録音はこれが最後となってしまいました。
その後1966年から1978年まではエディ・ゴメス(Eddie Gomez、1944年10月4日~)がエヴァンスのベーシストとして活動しました。

薬物とビル・エヴァンス

数々の名演奏を残してきたエヴァンスですが、彼の側には常に薬物問題がありました。
1958年のマイルス・デイヴィスのバンドメンバーの頃には既にヘロイン中毒に陥っており、1963年にはヘロインの注射が原因で右手が動かず左手だけで演奏してこともあったそうです。

またエヴァンスの歯は薬物の影響でボロボロになっており、その様子は数少ない残された映像の中でも確認できます。
彼の写真が口を閉じたものが多いのは前歯がボロボロだったためとも言われています。
また指が腫れ上がって演奏に支障をきたすこともありました。

身体は蝕まれ、結局健康になることはなく51歳の若さで生涯を終えました。

身内の不幸な死

エヴァンスは身内の不幸な死を2度経験しています。
1度は、長年連れ添った恋人に別れ話をしたときに恋人が自殺してしまいます。
2度目は兄が原因不明の拳銃自殺をしています。

これが一層エヴァンスを薬物などの道へ突き進ませたとの意見もありますが、真相は定かではありません。

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