ソニー・クラークの生涯とオススメ~ジャズ名盤・名演~

ソニー・クラーク(Sonny Clark、1931年7月21日~1963年1月13日)はアメリカ合衆国ペンシルベニア州出身のジャズ・ピアニストです。
サイドマンとしても多くのミュージシャンから信頼をえていたプレーヤーでもあります。

また日本で特に人気の高いピアニストでもあります。
そのプレイスタイルに日本人の心に染みやすい、日本人の心をくすぶる何かがあるのかもしれません。

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母子家庭の末っ子として育つ

ソニー・クラークはペンシルバニア州のハーミニーで、8人兄弟の末っ子として生まれました。
父親はクラークが生まれた2週間後に病気で亡くなっており、母子家庭で育ちました。
炭鉱が盛んなこの町で、クラークは4歳よりピアノを学び始めます。
兄もピアニストでしたので、兄の影響もあったのかもしれません。
クラークも音楽にのめり込んでいきます。

Sonny Clark

その後ピッツバーグへ移り住み、そこでのハイスクール時代にはヴィブラフォンとベースも演奏していました。

20歳で西海岸を拠点に音楽活動を開始

母子家庭で育ったクラークですが、不幸なことに20歳の頃に母親を亡くしてしまいます。
それをきっかけに兄と共に西海岸へと移り、そこで本格的に音楽活動を開始します。
早速サックス奏者のワーデル・グレイ(Wardell Gray)のバンドで働きだします。
西海岸では、他にはベーシストのオスカー・ペティフォード(Oscar Pettiford)やクラリネット奏者のバディ・デフランコ(Buddy Defranco)とも一緒に演奏しました。

この頃には女性ジャズ・ヴォーカリスト御三家の1人に数えられるビリー・ホリデイ(Billie Holiday)とも演奏しており、ドイツのケルンのツアーに参加しています。
またサックス奏者であるアート・ペッパー(Art Pepper)とも交流がありました。

ニューヨークを拠点に

その後約5年間は西海岸で活動していましたが、25歳の頃に拠点をニューヨークに移します。
ここでソニー・ロリンズ(Sonny Rollins)とも一緒に演奏をしました。

ニューヨークの地でブルー・ノートと契約するわけですが、クラークはこのブルー・ノートで多くの録音を残していきます。
その数はブルー・ノートだけで約40枚を数えました。

この日本人が大好きな「Cool Struttin’」ももちろんブルー・ノートから出ており、1958年の作品です。
またニューヨークの街中を歩くこのジャケット写真も有名です。
タイトル曲の「Cool Struttin’」はとても聴きやすいので、すっと入っていきやすい曲だと思います。

ヘロイン中毒

ジャズミュージシャンに良くみられるように、クラークも薬物中毒でした。
元々性格的に強い方ではなかったことや、白人社会の中で生きた黒人としての精神的ストレスもあったのかもしれません。
西海岸で活動していた頃からヘロインに手を出しており、その身体は徐々に蝕まれていきます。

そして31歳の若さで帰らぬ人となりました。
死因は公式では心臓発作とされていますが、実際のところはヘロイン中毒だったのではないかと言われています。

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