ハービー・ハンコックの生涯とオススメ~ジャズ名盤・名演~

ハービー・ハンコック(Herbie Hancock/1940年4月12日~)はジャズ界を代表するピアニスト・作曲家で、長年に渡ってジャズのみならず音楽界を引っ張り続けているミュージシャンです。

本名はHerbert Jeffrey Hancockというのですが、これは当時アメリカで俳優やシンガーソングライターとして活躍していたHerb Jeffriesから名付けられたそうです。

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11歳でシカゴ交響楽団と共演

ハービー・ハンコックは、その神童ぶりから始まります。
7歳でピアノを学び始めると、11歳でシカゴ交響楽団と共演してしまいます。
曲目はモーツァルトの「ピアノ協奏曲第26番」でした。
多くのジャズピアニストと同様に、ハンコックもクラシックピアノから学び始めたのです。

シカゴ交響楽団と言えばアメリカだけではなく世界を代表するオーケストラの一つです。
もちろん神童で終わらず、ハンコックはその才能を発揮していきます。
ジャズに興味を持ち始めますが10代の彼は先生につくことはなく、独学でジャズを学んだそうです。

20歳からプロのジャズピアニストとして活動

19歳の頃にハンコックはジャズピアニストのクリス・アンダーソン(Chris Anderson)に弟子入りを頼みこみ、ジャズピアノを習い始めます。
そして間もなく、シカゴへ移りトランペット奏者のドナルド・バード(Donald Byrd)やサックス奏者のコールマン・ホーキンス(Coleman Hawkins)らと共に働き始めます。
そして21歳のときにブルー・ノートからリリースした「Takin’ Off」で名声を手にします。

hancock

マイルス・デイヴィスのメンバーに

「Takin’ Off」に収録されている「ウォーターメロン・マン」はヒットしましたが、それより彼にとって大きかったことは、「Takin’ Off」がマイルス・デイヴィスの耳にとまったことでした。

1963年マイルスのニューバンドの一人として加わり、その後5年間に渡りプレイしました。
そして脱退した後もマイルスとの演奏を続けています。

最先端の音楽を牽引

1969年にブルーノートを離れてから、ハンコックは時代の流れを自らで切り開いていきます。
エレクトリックサウンドを取り入れ始めていたハンコックは、1973年に「ヘッド・ハンターズ(Head Hunters)」をリリースします。
この作品はヒットすると同時に、多くの非難を浴びた問題作となりました。
今でこそエレクトリック・ジャズの代表作として考えられていますが、当時は少し斬新すぎたのかもしれません。

その後1980年代に入るとヒップ・ホップの音楽を取り入れたり、また映画音楽も手掛け「ラウンド・ミッドナイト」でアカデミー作曲賞も受賞しました。
またグラミー賞においては1983年を皮切りに2011年までに14度も受賞しています。

ハービー・ハンコックの名盤

ハービー・ハンコックは長年に渡り多くの録音を残し、様々な種類の音楽を生み出しています。
その中でも代表的なものを挙げてみます。

「処女航海」は1968年の作品で、すべてハンコックのオリジナル曲です。
海をテーマにしており、斬新なメロディーと美しいハーモニーが共存しています。
ハンコック個人の代表作にとどまらず、60年代のジャズを代表する作品として知られています。
フレディ・ハーバードのトランペットやジョージ・コールマンのテナーサックスも聴きどころの一つです。


1973年に発表した問題作「ヘッド・ハンターズ」も外すことはできません。
ジャズ・ファンクやジャズ・フュージョンに大きな影響を与えたエレクトリック・ジャズを代表する作品です。
ビルボードのジャズ・チャートで1位を獲得した彼にとっての大ヒットアルバムでもあります。

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