今回は愛媛県出身の歴代プロ野球選手のベストナインを選んでみました。

もちろん9人以外にもプロ野球界で活躍した愛媛県出身の選手はいますので、そちらを含め愛媛を代表するプロ野球選手たちをその後にまとめてみました。
投手・内野の層がとても厚く、反対に外野は名選手が少ない印象です。
下記に紹介していませんが、藤井 秀悟(投手)森本潔(内野手)渡辺省三(投手)なども愛媛県出身です。

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愛媛県ベストナイン

1番 坪内 道典(ライト)
2番 千葉 茂(セカンド)
3番 岩村 明憲(サード)
4番 景浦 將(レフト)
5番 高井 保弘(ファースト)
6番 河埜 敬幸(センター)※主にセカンド
7番 河埜 和正(ショート)
8番 橋本 将(キャッチャー)
9番 西本 聖(ピッチャー)

愛媛県出身の投手

西本 聖(にしもと たかし、1956年6月27日-/愛媛県松山市)

シュートを武器に打者を翻弄し、巨人のエースとして江川卓と共に投手陣を支えました。
通算504試合に登板し、165勝・防御率3.20の成績を残しました。

最多勝(1989年)
沢村賞(1981年)
ゴールデングラブ賞:8回(1979年-1985年.1989年)
日本シリーズMVP(1981年)

愛媛県立松山商業高等学校
読売ジャイアンツ(1975-1988)
中日ドラゴンズ(1989-1992)
オリックス・ブルーウェーブ(1993)
読売ジャイアンツ(1994)

藤田 元司(ふじた もとし、1931年8月7日-2006年2月9日/愛媛県新居浜市)

巨人の名監督は、選手時代は実働8年間で5度のリーグ優勝と2度の日本一に貢献しました。
通算364試合に登板し、119勝・防御率2.20の成績を残しました。
1996年には野球殿堂入りも果たしています。

最多勝利(1959年)
最高勝率:2回(1958年.1959年)
新人王(1957年)
MVP:2回(1958年.1959年)
ベストナイン(1959年)
正力松太郎賞:2回(1981年.1989年)

旧制愛媛県立新居浜中学校
愛媛県立西条北高等学校
慶應義塾大学
日本石油
読売ジャイアンツ(1957-1964)

野口 茂樹(のぐち しげき、1974年5月13日-/愛媛県東予市)

通算勝利数こそ81勝どまりですが、鮮烈な印象をプロ野球界に残した中日の左のエースです。
通算281試合に登板し、81勝・防御率3.69の成績を残しました。

最優秀防御率:2回(1998年.2001年)
最多奪三振(2001年)
MVP(1999年)
ゴールデングラブ賞(2001年)
最優秀バッテリー賞(2001年.捕手:中村武志)

1992年ドラフト3位
愛媛県立丹原高等学校
中日ドラゴンズ(1993-2005)
読売ジャイアンツ(2006-2008)

平井 正史(ひらい まさふみ、1975年4月21日-/愛媛県宇和島市)

高卒2年目で大ブレイクし日本一へ貢献、その後は通算21年に渡ってプロ野球界で主にリリーフとして活躍しました。
通算569試合に登板し、63勝・41セーブ・84ホールド・防御率3.31の成績を残しました。

最優秀救援投手(1995年)
最高勝率(1995年)
新人王(1995年)
最優秀バッテリー賞(1995年.捕手:中嶋聡)

1993年ドラフト1位
愛媛県立宇和島東高等学校
オリックス・ブルーウェーブ(1994-2002)
中日ドラゴンズ(2003-2012)
オリックス・バファローズ(2013-2014)

佐野 慈紀(さの しげき、1968年4月30日-/愛媛県松山市)

「ハゲ魔神」の愛称で親しまれ、バラエティでもお馴染みの投手です。
中継ぎ投手として史上初の1億円プレイヤーになりました。
通算353試合に登板し、41勝・27セーブ・防御率3.80の成績を残しました。

1990年ドラフト3位
愛媛県立松山商業高等学校
近畿大学工学部
近鉄バファローズ(1991-1999)
中日ドラゴンズ (2000)
オリックス・ブルーウェーブ(2003)

安樂 智大(あんらく ともひろ、1996年11月4日/愛媛県松山市)

高校2年生の春の甲子園で5試合で通算772球を投げ、国際的に話題になりました。
将来の楽天投手陣の柱として期待されています。

2014年ドラフト1位
済美高等学校
東北楽天ゴールデンイーグルス (2015 -)

愛媛県出身の捕手

橋本 将(はしもと たすく、1976年5月1日-/愛媛県宇和島市)

名捕手・里崎智也の存在でレギュラーとして活躍することは少なかったですが、ロッテのキャッチャーとして長年活躍しました。
通算727試合に出場し、428安打・44本塁打・229打点・打率.234の成績を残しました。

1994年ドラフト3位
愛媛県立宇和島東高等学校
千葉ロッテマリーンズ(1995-2009)
横浜ベイスターズ(2010-2011)

愛媛県出身の内野手

岩村 明憲(いわむら あきのり、1979年2月9日-/愛媛県宇和島市)

メジャーでも400試合以上に出場した、強打の内野手です。
NPBでは通算1194試合に出場し、1172安打・193本塁打・615打点・打率.290の成績を残しました。
MLBでは通算408試合に出場し、413安打・16本塁打・117打点・打率.267の成績を残しました。

ベストナイン:2回(三塁手部門:2002年.2006年)
ゴールデングラブ賞:6回(三塁手部門:2000年-2002年.2004年-2006年)

1996年ドラフト2位
愛媛県立宇和島東高等学校
ヤクルトスワローズ/東京ヤクルトスワローズ (1997-2006)
タンパベイ・デビルレイズ/タンパベイ・レイズ (2007-2009)
ピッツバーグ・パイレーツ (2010)
オークランド・アスレチックス (2010)
東北楽天ゴールデンイーグルス (2011-2012)
東京ヤクルトスワローズ (2013-2014)

河埜 和正(こうの かずまさ、1951年11月7日-/愛媛県八幡浜市)

ジャイアンツのショートとして活躍し、オールスターゲームにも4度選ばれました。
坂本勇人選手に更新されることは確実かもしれませんが、現在のところ遊撃手球団最多出場を保持しています。
通算1430試合に出場し、1051安打・115本塁打・416打点・打率.251の成績を残しました。

ベストナイン(1977年)
ダイヤモンドグラブ賞(1974年)

1969年ドラフト5位
愛媛県立八幡浜工業高等学校
読売ジャイアンツ (1970-1986)

千葉 茂(ちば しげる、1919年5月10日-2002年12月9日/愛媛県西条市)

ジャイアンツの一時代を築いた往年の名セカンドです。
通算1512試合に出場し、1605安打・96本塁打・691打点・打率.284の成績を残しました。
1980年に野球殿堂入りも果たしており、ベストナイン7回の受賞は二塁手としては高木守道と並ぶ最多タイの記録です。

愛媛県立松山商業学校(旧制)
東京巨人軍/読売ジャイアンツ(1938-1941.1946-1956)

水口 栄二(みずぐち えいじ、1969年1月9日-/愛媛県八幡浜市)

バファローズ一筋で主にセカンド、ショートとして17年間プレーしました。
オリックス・バファローズに統合されてからはサードとしても出場しています。
通算1561試合に出場し、1213安打・53本塁打・417打点・打率.269の成績を残しました。

1990年ドラフト2位
愛媛県立松山商業高等学校
早稲田大学
近鉄バファローズ/大阪近鉄バファローズ(1991-2004)
オリックス・バファローズ(2005-2007)

藤原 満(ふじわら みつる、1946年9月18日-/愛媛県松山市)

三振の少ないミート打法で、8年連続100安打以上を記録しました。
通算1354試合に出場し、1334安打・65本塁打・413打点・打率.278の成績を残しました。

ベストナイン(1976年)
ダイヤモンドグラブ賞:2回(1976年、1981年)

1968年ドラフト4位
愛媛県立松山商業高等学校
近畿大学
南海ホークス(1969-1982)

高井 保弘(たかい やすひろ、1945年2月1日-/愛媛県今治市)

「世界の代打男」として通算代打本塁打27本の記録を打ち立てました。
DH制が導入されてからは指名打者としても活躍しました。
通算1135試合に出場し、665安打・130本塁打・446打点・打率.269の成績を残しました。

ベストナイン(指名打者・1977年)

愛媛県立今治西高等学校
名古屋日産モーター
阪急ブレーブス(1964-1982)

愛媛県出身の外野手

景浦 將(かげうら まさる、1915年7月20日-1945年5月20日/愛媛県松山市)

「闘将」の異名を持ち、「零代ミスタータイガース」とも呼ばれました。
水島新司の漫画「あぶさん」の景浦安武のモデルとしても知られています。
投手としても打者としても活躍した二刀流選手でした。

打者として通算323試合に出場し、307安打・25本塁打・222打点・打率.271の成績を残しました。
投手として通算56試合に登板し、27勝・防御率1.57の成績を残しました。

首位打者:1回(1937年秋)
打点王:2回(1937年春、1938年春)
最優秀防御率(1936年秋)
最高勝率(1936年秋)

旧制愛媛県立松山商業学校
立教大学
大阪タイガース/阪神軍 (1936-1940.1943)

河埜 敬幸(こうの たかゆき、1955年4月18日-/愛媛県八幡浜市)

河埜和正の弟で、兄弟揃って1000本安打を達成した唯一の兄弟コンビです。
主にセカンドとして活躍しましたが、センターやファーストでもプレーしました。
通算1552試合に出場し、1384安打・85本塁打・463打点・打率.268の成績を残しました。

1973年ドラフト3位
愛媛県立八幡浜工業高等学校
南海ホークス/福岡ダイエーホークス(1974-1989)

坪内 道典(つぼうち みちのり、1914年4月7日-1997年9月16日/愛媛県伊予市)

戦前戦後に活躍した俊足の外野手です。
通算1417試合に出場し、1472安打・34本塁打・462打点・344盗塁・打率.262の成績を残しました。
戦後は選手兼監督としてもプレーし、1992年には野球殿堂入りも果たしています。

盗塁王:2回(1941年.1942年)
ベストナイン:2回(1947年.1948年)

旧制愛媛県立松山商業学校 (中退)
旧制大阪市立天王寺商業学校
立教大学 (中退)
大東京軍/ライオン軍/朝日軍 (1936-1944)
ゴールドスター/金星スターズ(1946-1948)
中日ドラゴンズ/名古屋ドラゴンズ(1949-1951)

熊代 聖人(くましろ まさと、1989年4月18日-/愛媛県上浮穴郡久万高原町)

入団1年目から活躍し、2年目・3年目は100試合以上に出場しました。
近年は出場機会に恵まれていませんが、さらなる活躍が期待されています。
2016年までに通算406試合に出場し、99安打・0本塁打・29打点・打率.231の成績を残しています。

2010年ドラフト6位
愛媛県立今治西高等学校
日産自動車
王子製紙
埼玉西武ライオンズ(2011-)

鵜久森 淳志(うぐもり あつし、1987年2月1日-/愛媛県松山市)

新天地ヤクルトでの才能の開花が期待されている外野手(一塁手)です。
2016年までに通算192試合に出場し、88安打・10本塁打・37打点・打率.233の成績を残しています。

2004年ドラフト8巡目
済美高等学校
北海道日本ハムファイターズ(2005-2015)
東京ヤクルトスワローズ(2016-)

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