日本の歴史が大きく動いた幕末の京都で、坂本龍馬は暗殺されました。
坂本龍馬は、京都の醤油商の近江屋に隠れていました。
この日、風邪を引いていた龍馬は中岡慎太郎と、近江屋の2階で話をしていました。
部屋には、護衛をしていた元・力士の山田藤吉もいました。
近江屋に「十津川郷土(とつがわごうし)」と、名乗る数名の男が訪ねてきます。
山田は部屋へ案内をしている際に後ろから斬られてしまいます。
龍馬と中岡は、2階の部屋で襲撃を受けます。
龍馬はほぼ即死に近かったそうです。
中岡は致命傷を負い、襲撃から2日後に亡くなりました。
坂本龍馬の暗殺は永遠の謎です。
龍馬は幕府側から見ても倒幕派からみても、危険な存在でした。
龍馬の命を狙うものは、数多くいたのです。
ここでは有力な説を紹介していきます。
京都見廻組説が最有力
龍馬は、寺田屋事件で奉行所の役人を2名殺害しました。
そのため、京都の治安維持をしていた佐々木只三郎率いる京都見廻組は龍馬を追っていました。
今でいう警察のような仕事ですね。
元京都見廻組の今井信郎は龍馬を暗殺したと、戊辰戦争で捕虜になったのちに自供しています。
言動が二転三転しており信ぴょう性に欠ける部分があるのも事実です。
しかし、この説が専門家の間では「定説」となっています。
新撰組説は「でっちあげ」の俗説か!?
新撰組説が唱えられる理由は、現場に落ちていた鞘です。
伊東甲子太郎がその鞘を「新撰組・原田左之助のものである」と証言したのです。
しかし、これは犯人を新撰組に「でっちあげよう」としたと考えられています。
そのことに対し、新撰組局長の近藤勇は「濡れ衣を着せようとしたもの」と主張しています。
また仮に新撰組の犯行だとすれば、手柄として堂々と宣言したはずです。
新撰組の可能性は低いと考えられます。
黒幕の第1候補は薩摩
龍馬の暗殺に黒幕がいるとすれば、まっさきに挙げられるのは薩摩藩でしょう。
龍馬が大政奉還を行ったため、薩摩藩は武力での倒幕ができなくなりました。
薩摩はこのことで龍馬を恨んでいたのですね。
そこで、京都見廻組に龍馬の暗殺を依頼したという説が考えられています。
元京都見廻組の今井信郎は「龍馬を暗殺した」と言ったにもかかわらず、処刑を免れ釈放されています。
「明治維新の立役者」坂本龍馬を殺して罪に問われないのは不思議ですね。
しかし、薩摩がもし黒幕だったとしたならば納得もいきます。
他には紀州藩説もあります。
紀州藩説と海援隊は船の事故を起こしています。(いろは丸沈没・事件)
紀州藩は交渉に負け、多額の賠償金を支払う事になります。
その報復で、暗殺を依頼したという説です。
黒幕がいるかはわかりません。
しかし、いるとすれば薩摩藩がやはり筆頭でしょう。