1853年にペリー率いるアメリカ軍艦が浦賀に来航します。フィルモア大統領の国書を幕府に渡すためにやってきたのです。
当時、幕府は鎖国をしていました。
外国との貿易は長崎でしかおこなっていませんでしたので、長崎に行くようにペリーに指示します。

ペリーは拒否をして浦賀に居続けます。
何度言っても言うことを聞きません。
交渉上手なのかもしれませんが、かなりの強硬手段です。

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ペリーは幕府のお偉いさん以外とは会わない

幕府は交渉や面会人として、初めに中島三郎助を次に香山栄左衛門をペリーに会わせようとします。
しかし、ペリーは彼らとは会いませんでした。
代理人と彼らを会わせます。
ペリーは幕府の閣僚より下の身分とは会わないと決めていたのです。

これもかなり上から目線ですね。
これも交渉術でしょう。

武力をちらつかせる、まさにジャイアン

さらにペリーらは軍事攻撃をちらつかせます。
「俺たちの言うことを聞かないとどうなっても知らないぞ!」
「おれたち大統領からの国書を幕府の上のものに渡してこい。」
と言ったわけです。

香山はこれにびびり、幕府に相談に行きます。

ペリーはその国書の返答を待つ間に、江戸の海の測量を勝手にはじめます。
あらたな脅しともとれます。

幕府は答えを先延ばし

アメリカからの圧力に負けて、幕府は国書を結局受け取ります。

そして、
「とりあえず国書は受け取るけど、答えは今すぐには出せない。」
とアメリカに言います。

アメリカはこれにて一度引き下がりますが、これが開国への足がかりとなっていくのです。

日本は何もできずに終わった、ペリーの来航だったのです。

ペリーが力尽くで無理やり開国に持っていったと言っても過言ではないですね。
しかし、良く言えば日本を開国へと導くには、このような方法がベストの選択だったのかもしれません。

ちなみにペリーは12隻で来航する予定が、4隻に減っての来航でした。
強気に攻めてきていたペリーですが、実は内心はドキドキしていたかもしれまんね!?

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