1813年は二人の大作曲家が誕生した年です。
イタリア出身のヴェルディとドイツ出身のワーグナーです。

彼らは二人とも小さい頃に英才教育を受けておらず、作曲家として有名になったのも二人とも29歳のときです。
不思議な共通点だらけです。

しかし二人の生き方、そして音楽は全く異なるものでした。
今日はこの二人の大作曲家、ヴェルディとワーグナーを見ていきたいと思います。

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二人の簡単な生い立ちの紹介

ヴェルディ(1813〜1901)

Guiseppe Verdi
イタリア生まれ
実家は宿屋兼居酒屋
教会音楽で音楽と出会った

ワーグナー(1813〜1883)

wagner
ドイツ生まれ
両親は公務員とパン職人
兄弟にはプロのオペラ歌手もいた

1813年生まれという共通点以外は家庭環境などは似ていなさそうです。

パトロン

当時のオペラ作曲家のそばにはパトロンの存在がありました。
パトロンとはお金などの財政的な支援をはじめ様々な支援をしてくれる人のことです。

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ワーグナーのパトロンは王様

まずはワーグナーから見ていきましょう。
ワーグナーのパトロンは実は王様でした。
バイエルン国王ルートヴィヒ二世です。
この王様がワーグナーの歌劇「ローエングリン」を見たことが、きっかけとなりました。

無実の罪をきせられた姫と白鳥の騎士ローエングリンとの物語で、演奏時間は3時間30分ほどです。
有名なオペラですので知ってる方も多いと思います。
ローエングリンの中の婚礼の合唱で、結婚式をあげられた方もいると思います。

このオペラの幻想的な世界に王様も魅きこまれたわけです。
ワーグナーの描く神話や伝説が王の描く世界と重なったのかもしれません。

王はワーグナーにはまりにはまり、ノイシュヴァインシュタイン城という作品をイメージした本物のお城まで建ててしまいました。

また、王はワーグナーをバイエルンに呼び豪華な邸宅を与え、破格の年金までも与えました。
そして何とワーグナーのオペラ作品を国費を使って上演したのです。

王様の後ろ盾があるなんて、これほど強固でかつ潤沢な資金が得られるものはありません。

ヴェルディのパトロンは卸問屋

その一方で、ヴェルディのパトロンは卸問屋のアントーニオ・バレッツィという名の主人でした。
王様に比べたら質素に感じるかもしれませんが、地元では有名な卸問屋でした。
バレッツィは楽団を作って自分自ら演奏をする音楽好きでもありました。

バレッツィはヴェルディの実家の宿屋に商品を卸しており、つながりはそこからあります。
仕事の取引先の息子の音楽の才能にバレッツィは気づいたわけです。

バレッツィはヴェルディの父親を説得し、音楽活動を支援しました。
先生の手配から、生活費、留学、学費、宿など様々なことを支援してくれたのです。

ヴェルディは身の回りの人々に支えられて生きてきたわけです。
そういう生活環境の違いはオペラにも現れています。
ワーグナーの幻想的な世界観とは違い、ヴェルディのオペラは実生活の人間の愛や不安、苦しみなどが描かれた作品が多くなっています。

ヴェルディの出世作は歌劇「ナブッコ」です。
エルサレムが舞台で虐げられたユダヤ人が苦悩の末に解放される物語です。
その中の合唱が歌う
「行け、わが思いよ、金色の翼にのって」
は有名なシーンですね。
イタリア第二の国家とも言われています。

作品が公演されたときは、イタリアはオーストラリアの支配下にありました。
イタリアの観衆はオペラと自分たちを重ね熱狂したと言います。

登場人物の違い

先ほど述べたようにヴェルディとワーグナーのオペラは音楽だけでなく物語の内容も大きく異なります。

ワーグナーは幻想的な神話や伝説を描いたのに対して、ヴェルディは人間くさい現実的な登場人物を描いています。

ワーグナーで登場する人物例


巨人
魔女

ヴェルディで登場する人物例

娼婦
道化師
奴隷
軍人
革命家

浪費家ワーグナー

ワーグナーのパトロンは王様で、ヴェルディのパトロンは卸問屋です。
お金の価値観にも二人には大きな違いがありました。

まずはワーグナーから見ていきましょう。
ワーグナーはやりたい仕事しかしないうえに、かなりの浪費家でもありました。

現実的な世界を表現するために、舞台セットに相当なお金をかけます。
また連日パーティを開いたりもしており、当時の貴族の年収数年分を一ヶ月で使ってしまうほどの浪費家だったそうです。

ただ、ワーグナーにはお金が溢れるほどあったわけでもありません。
かなり借金を抱えていたと言います。

それでも彼の浪費家ぶりは止まらず、音楽においても膨大な計画を立てます。

それは楽劇「ニーベルングの指輪」の上演です。
魔法の指輪をめぐって、神々と人間が繰り広げる物語です。
上演時間は、なんと15時間です。

ワーグナーはこの壮大な舞台を表現するためには、専用の劇場が必要だと感じます。
ここで出てくるのがパトロンであるバイエルン国王ルートヴィヒ二世ですね。
彼が支援者となり1876年にワーグナー専用のバイロイト祝祭劇場が完成するのです。

・壮大な舞台セットのための奥行きのある舞台
・オーケストラピットを客席から見えないようにする
・観客が眠らないようにカッチカチの椅子を設置
などワーグナーのこだわりが詰まった劇場でした。

この劇場は毎年音楽祭が開かれ、ワーグナーファンの聖地として有名ですね。

一流ビズネスマンのヴェルディ

続いてはヴェルディです。
皆さんご想像の通り、ヴェルディのお金の価値観はしっかりしており、堅実でした。

当時の作曲家の報酬は、作曲したときに支払われる作曲料のみでした。

著作権料がない時代で、作曲家には可哀想な時代ですね。
自分の作品が人気が出て何度も上演されても、自分の手元にはお金が入ってこないわけです。

そんな中、ヴェルディは独学で契約の仕組みを学び、著作権の考え方を初めてイタリアに持ち込みました。

ヴェルディが再演料や出版料、レンタル料などを作曲家が貰えるようになるきっかけを作ったのです。
ヴェルディの才能は音楽だけではなかったのですね!

そういうビジネスマンの一面のあったヴェルディの生涯年収は、クラシック史上No.1だとも言われています。

ヴェルディとワーグナーは生涯一度も顔を合せなかった

「ヴェルディとワーグナーとのお金の比較」いかがだったでしょうか。
同じ年生まれの二大オペラ作曲家ですが、似ても似つかぬ生活を送っていたようですね。

ちなみに、ヴェルディとワーグナーは生涯一度も顔を合せなかったと言われています。

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