京都、会津などは幕末好きにとても人気のスポットです。
しかし東京にも幕末を感じることのできるスポットは多くあります。

幕末は江戸時代ですので、幕末スポットが江戸にあるのも当然ですね。
東京では現存しているものが少ないのが悲しいところではあります。

今回は大手町駅周辺の幕末スポットを紹介したいと思います。

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江戸城 富士見櫓

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富士見櫓

住所:東京都千代田区皇居東御苑

富士見櫓は、1868年、上野戦争で新政府軍を指揮した大村益次郎が戦況を見守っていた場所です。
現在の櫓は1659年に再建されたもので、江戸城本丸の貴重な遺構です。

江戸城には19の櫓がかつてはありました。
その中で、富士見櫓は伏見櫓・桜田巽櫓と共に現存する江戸城の三つの櫓のうちの一つです。
江戸城の天守閣が1657年に焼失した後は、富士見櫓が天守閣の代わりとして使われたとされています。
どの方向からも同じ形に見えることから、八方正面の櫓とも呼ばれます。

石垣は自然石をそのまま積んでいますが、とても頑丈で水はけもよく作られています。
この石垣は加藤清正が主に作ったと言われています。

姫路藩酒井家上屋敷跡(三井物産ビル)

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姫路藩酒井家上屋敷跡

桜田門外の変の実行部隊の一人であった水戸藩士・広岡子之次郎が自刃した場所が姫路藩酒井家上屋敷の前です。
広岡子之次郎は有村次左衛門と一緒に井伊直弼を仕留めましたが重傷を負いました。
そして姫路藩酒井家上屋敷の前で力尽き自刃したとされています。

この様子を姫路藩士が目撃しており、「いさぎよい死ぬぶり」と書いています。

三上藩遠藤家上屋敷跡(パレスホテル)

住所:東京都千代田区丸の内1-1-1

有村次左衛門が自刃した場所がここです。
有村次左衛門は桜田門外の変に実行部隊である桜田十八士として参加した薩摩藩士です。
広岡子之次郎と共に井伊直弼を仕留めた後に、井伊側の小河原秀之丞に傷を負わされます。
必死に逃げますが、この三上藩遠藤家上屋敷付近で力尽き自刃します。

桜田門から実際に散歩してみて、当時の様子を想像してみるのもいいかもしれません。

福井藩松平家上屋敷跡(NTTグループビル)

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住所:千代田区大手町2-3あたり

土佐藩を脱藩した坂本龍馬が松平春嶽に謁見した場所が福井藩松平家上屋敷です。
現在の東京国際郵便局跡地やNTT大手町ビルあたりです。

坂本龍馬は松平春嶽に日本を諸外国の侵略から守るために、開国・通商・海軍強化の重要性を語ります。
それを聞いた松平春嶽は、渡米の経験もある勝海舟へ紹介状を書きました。
坂本龍馬は、その紹介状を持って勝海舟に会いにいきました。
そして龍馬は勝海舟の門人になることができたのでした。

ここには2018年に高層ビルが建築される予定のようです。

会津藩松平家上屋敷跡(和田倉門公園)

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和田倉噴水公園

住所:東京都千代田区皇居外苑3-1

江戸時代には和田倉門を入るところに会津藩松平家上屋敷がありました。
1868年に引き払われ鳥羽伏見の戦いで幕府が敗走したときには、会津藩士はここに収容され糾問所となりました。

現在は和田倉噴水公園となっています。
写真の向かいにあるのがパレスホテルです。
三上藩遠藤家上屋敷跡ですね。

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