京都、会津などは幕末好きにとても人気のスポットです。
しかし東京にも幕末を感じることのできるスポットは多くあります。

今回は小伝馬町駅・岩本町駅の幕末スポットを紹介したいと思います。
ここ辺は地下鉄も多くありますので、有効に活用していきたいですね。

東京在住の方は、京都を訪れる前に身近な歴史スポットを旅してみてはいかがでしょうか。

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伝馬町牢屋敷跡(小伝馬町駅)

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伝馬町牢屋敷跡

住所:東京都中央区日本橋小伝馬町3-4-5

伝馬町牢屋敷は、面積が2600坪を超える幕府最大規模の牢屋でした。
伝馬町牢屋敷は小伝馬町一帯を占めており、敷地の一部に現在の十思公園があります。
十思公園は小伝馬町駅から約徒歩3分のところです。

吉田松陰は伝馬町牢屋敷に2度収容されています。
一度目は1854年のペリー再来航のときに、下田から米国船に乗って密航しようとして失敗したときです。
自首をして牢獄に入ったことからも松陰の生き様が垣間見られます。
その後、長州へ戻り松下村塾を開き高杉晋作・久坂玄瑞などを育てました。

二度目は、1859年に危険人物として幕府から取り調べを受けたときです。
この取り調べで、老中首座・間部詮勝暗殺の計画を話し死罪になります。
これは安政の大獄としても知られています。

十思公園には1711年に改鋳された「石町時の鐘」があります。
こちらは江戸最古の時の鐘としても知られています。
江戸市中に時を告げた鐘で、この鐘の合図で吉田松陰の死刑は執行されたと言われています。

大安楽寺(小伝馬町駅)

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江戸伝馬町処刑場跡

住所:東京都中央区日本橋小伝馬町3-5

先ほどお話した通り、小伝馬町一帯は牢屋敷でした。
そこは身分によって様々な牢屋がありました。
旗本や僧侶などの身分の高い人たち専用の楊座敷と呼ばれる牢もありました。
また牢屋敷内では、牢だけでなく拷問や斬首などの処刑もおこなわれていました。

安政の大獄がはじまると、多くの政治犯が投獄されました。
吉田松陰もここで斬首刑になっています。

維新後に牢屋敷はなくなり、その跡地に大安楽寺が建てられました。

この周辺は牢屋敷跡だったため取り壊し後も、誰も住み着かなかったそうです。
そのため、大倉喜八郎と安田善次郎が土地を寄進して、大安楽寺を明治15年に建てました。
名前の由来は二人の名字の頭文字から来ています。

大安楽寺には「江戸伝馬町処刑場跡」の碑が建っています。

千葉周作の道場(玄武館)跡「右文尚武の碑」(岩本町)

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右文尚武の碑

住所:東京都千代田区神田東松下町24

黒船来航後、日本を守るべく剣術がますます盛んになりました。
その中でも人気があったのが千葉周作の北辰一刀流玄武館です。
新撰組の山南敬助や藤堂平助もここの門下生でした。

現在の千桜小学校跡地に「右文尚武」と書かれた石碑があります。
右文尚武とは「学問を重んじ、武事を尊ぶ」という意味で文武両道の事を指します。

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