埼玉県深谷市の畠山重忠公史跡公園には、歴史好きなら1度は訪れておきたい銅像があります。
今にも動き出しそうな愛馬と共にたっている畠山重忠の像です。
とても大きいので見ごたえも抜群です。

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畠山重忠像

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畠山重忠(はたけやま しげただ)は、鎌倉幕府の有力御家人で源頼朝のもとで、源平合戦において活躍しました。
この銅像は源氏と平氏の戦いである源平合戦の中の、一ノ谷の戦いでの様子です。
「源平盛衰記」では、重忠は坂を駆け下りる際に馬を担いでおりたと描かれています。
この銅像はその模様を再現したものです。

住所:埼玉県深谷市畠山510-2(畠山重忠公史跡公園)
アクセス:秩父鉄道永田駅より徒歩15分

一ノ谷の戦い

一ノ谷の戦いとは源平合戦のうちの一つの戦いです。
銅像は埼玉県深谷市にありますが、この戦い自体は現在の兵庫県で1184年におこなわれました。

この一ノ谷の戦いは源氏が勝利を収めます。
畠山重忠も源氏側の人物です。

一ノ谷に陣をはっていた平氏ですが、陣の裏の断崖絶壁は無警戒でした。
そこで源義経はこの断崖絶壁から駆け下り、平氏を攻めます。
これが「鵯越の逆落とし」と呼ばれるもので、これにより平氏は大打撃を受けて、ついには敗走してしまいます。

畠山重忠は坂を駆け下りてない!?

「源平盛衰記」では馬を担いでさっそうと崖を降りていった畠山重忠ですが、「吾妻鏡」によると畠山重忠は義経の軍勢にはおらず範頼の軍に属していました。
少し話を膨らまして、脚色を加えたのが、この銅像の様子なわけです。

ちなみに九条兼実の日記「玉葉」には、一ノ谷の戦いはでの「鵯越の逆落とし」の記述すらありません。
どれが事実なのかはいまだわからずと言ったところでしょうか。

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畠山重忠とは

畠山重忠は、平安時代末期から鎌倉時代初期に活躍した人物です。

畠山家は元々は源氏に仕える身でしたが、平治の乱で源義朝が敗死したことをきっかけに平氏に使えることとなります。
重忠の父の時代のことでした。
ですので重忠も初めは平氏に仕えていました。
しかし様々な戦いを経て、1180年に再び源氏に仕えることとなります。
その4年後にこの一ノ谷の戦いが起こります。
戦乱の世の真っただ中を歩んできたのが、畠山重忠なのです。

源平合戦に勝利した源氏ですが、畠山重忠の一生は美しいものではありませんでした。
頼朝の没後に実権を握った北条時政の策謀により、北条義時率いる大軍に攻められて滅ぼされてしまうのです。
それにより子孫は名字を変えざるを得なくなりました。

そんな畠山重忠ですが、人格者だったそうで清廉潔白な人柄から「坂東武士の鑑」と呼ばれたそうです。

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