吹奏楽の名曲シリーズ、今回はリムスキー=コルサコフ作曲の「スペイン奇想曲」を紹介したいと思います。
この時期にはリムスキー=コルサコフの代表作「シェヘラザード(1888年)」「ロシアの復活祭(1888年)」も生まれており、彼の創作活動がとても充実していた時期でもあります。
この曲はわかりやすい旋律と明るい音楽が特徴的で、クラシックファン以外でもとても親しみやすい音楽です。
ヴァイオリン、クラリネット、フルート、ホルン、ハープなどの派手なソロが聴き手を惹きつけます。
そのため初めて聴いたそのときから、魅力をたっぷりと感じやすい曲だとも言えるかもしれません。
ちなみにこれらの旋律はリムスキー=コルサコフのオリジナルでないものも多く、スペイン民謡集「ECOS DE ESPANA(スペインからの響)」から拝借したものが多くあります。
リムスキー=コルサコフの「スペイン奇想曲」は吹奏楽で演奏されることも多くありますが、元々はオーケストラのために書かれた音楽です。
初演のメンバーに献呈された曲
リムスキー=コルサコフの「スペイン奇想曲」は1887年に作曲されました。
西欧では「Capriccio Espagnol」と呼ばれており、cpriccioとは奇想曲を指しますが、元々は「気まぐれ」という意味です。
初演はリムスキー=コルサコフ自身が指揮をふりマリインスキー劇場管弦楽団の演奏でおこなわれたのですが、この「スペイン奇想曲」はリハーサルの時から奏者に大好評だったそうです。
初演の成功はもちろんですが、リハーサルでも成功したわけですね。
そのためこの曲は初演に関わった団員たちに献呈されています。
ロシア五人組の一人、リムスキー=コルサコフ
タイトルは「スペイン奇想曲」ですが、リムスキー=コルサコフ(1844年~1908年)はその名前から推測できるようにスペイン人ではありません。
19世紀後半に活躍したロシア生まれの作曲家で、ロシア五人組の一人に数えられます。
軍人の家に生まれ、音楽を始めたのは遅かった
多くの音楽家に神童としてのエピソードが残されていますが、リムスキー=コルサコフはそうではありません。
軍人貴族の家庭に生まれロシア海軍に入り、海軍遠征もしています。
幼い頃から音楽を勉強はしていましたが、本格的に作曲を学び始めたのは17歳(1861年)の頃でした。
その後も音楽活動をしながらも海軍には在籍しており、在籍は1873年まで続きました。
宮廷礼拝堂の助手時代の作品
音楽のスパルタ教育を受けてこなかったリムスキー=コルサコフですが、1871年にペテルブルク音楽院の教授に就任します。
この時代に彼は和声法や対位法をしっかりと勉強しなおしたそうです。
そして1883年から1894年まで、宗務局(宮廷礼拝堂)でバラキレフの助手を務めるのですが、「スペイン奇想曲」はこの時期の作品となります。
この助手時代には指揮者としても活動をしていました。
人物としても優れた人格者だった
前述のとおり、リムスキー=コルサコフは根っからの音楽家ではなく、元々は軍人でした。
「わがまま」「神経質」などのイメージのある音楽家が多い中、彼は真逆の人物で「人格者」として知られていました。
良い意味で「異質な音楽家」であり、多くの人々から尊敬を集める存在であったそうです。
リムスキー=コルサコフ「スペイン奇想曲」の吹奏楽の演奏
創価大学吹奏楽部の演奏