今回は香川県出身の歴代プロ野球選手のベストナインを選んでみました。
もちろん9人以外にもプロ野球界で活躍した香川県出身の選手はいますので、そちらを含め香川を代表するプロ野球選手たちをその後にまとめてみました。
往年の名選手がとても多い一方で、近年ではプロ野球で活躍する選手はあまり輩出されていないようです。
その他に
・宮武三郎(阪急軍の初代主将、1965年野球殿堂入り)
・水原茂(巨人・東映・中日の監督)
・三原脩(巨人・西鉄・大洋・近鉄・ヤクルトの監督)
・田中尊(1960年代の広島の捕手)
・山口富士雄(1960年代の阪急の内野手)
・田中調(1960年代の東映の投手)
・松家卓弘(東大出身の元プロ野球選手)
・鈴木義広(中日2005-14の投手)
・三瀬幸司(ホークス2004-10/中日10-14の投手)
なども香川県出身のプロ野球選手です。
香川県ベストナイン
1番 中塚 政幸(センター)
2番 近藤 昭仁(セカンド)
3番 田尾 安志(レフト)※育ちは大阪
4番 中西 太(ファースト)※本職はサード
5番 島谷 金二(サード)
6番 熊野 輝光(ライト)
7番 白井 一幸(ショート)※本職はセカンド
8番 岡村 浩二(キャッチャー)
9番 大矢根 博臣(ピッチャー)
香川県出身の投手
大矢根 博臣(おおやね ひろおみ、1935年7月1日-/香川県三豊市)
シュートを武器に1956年から3年連続2けた勝利(20勝・12勝・24勝)をマークしました。
通算247試合に登板し、86勝・防御率2.12の成績を残しました。
1957年にはノーヒットノーランも記録しています。
香川県立観音寺第一高等学校
中日ドラゴンズ (1954-1960)
西鉄ライオンズ (1961-1962)
西村 貞朗(にしむら さだあき、1934年11月25日-2015年8月3日/香川県仲多度郡琴平町)
完全試合も達成した、往年の投手です。
通算312試合に登板し、82勝・防御率2.44の成績を残しました。
最高勝率(1954年)
ベストナイン(1954年)
最優秀投手(1954年)
香川県立琴平高等学校
西鉄ライオンズ(1953-1962)
松永 昂大(まつなが たかひろ、1988年4月16日-/香川県さぬき市)
入団以来ロッテの貴重なリリーフ左腕として活躍し続けています。
2016年までに通算198試合に登板し、11勝・63ホールド・防御率2.90の成績を残しています。
2012年ドラフト1位
香川県立高松商業高等学校
関西国際大学
大阪ガス
千葉ロッテマリーンズ(2013-)
香川県出身の捕手
岡村 浩二(おかむら こうじ、1940年11月10日-/香川県丸亀市)
阪急の正捕手を約10年に渡って務めました。
通算1370試合に出場し、848安打・85本塁打・395打点・打率.224の成績を残しました。
香川県立高松商業高等学校
立教大学(中退)
阪急ブレーブス(1961-1971)
東映フライヤーズ/日拓ホームフライヤーズ/日本ハムファイターズ (1972-1974)
山下 健(やました たけし、1931年8月6日-2006年11月26日/香川県高松市)
戦後の阪急を支えた捕手です。
晩年になると同じく香川出身の岡村 浩二にポジションを譲りました。
通算1232試合に出場し、530安打・33本塁打・220打点・打率.189の成績を残しました。
高松第一高等学校
阪急ブレーブス(1950-1965)
香川県出身の内野手
中西 太(なかにし ふとし、1933年4月11日-/香川県高松市)
日本プロ野球界を代表するスラッガーで、1999年には野球殿堂入りも果たしています。
通算1388試合に出場し、1262安打・244本塁打・785打点・打率.307の成績を残しました。
首位打者2回(1955年.1958年)
本塁打王5回(1953年-1956年.1958年)
打点王3回(1953年.1956年-1957年)
新人王(1952年)
MVP(1956年)
ベストナイン7回(1953年-1958年.1961年)
高松第一高等学校
西鉄ライオンズ(1952-1969)
白井 一幸(しらい かずゆき、1961年6月7日-/香川県さぬき市)
二塁手として545回守備機会連続無失策のパリーグ記録を持つ、名セカンドです。
通算1187試合に出場し、889安打・49本塁打・334打点・打率.246の成績を残しました。
最高出塁率(1991年)
ベストナイン(1987年※二塁手部門)
ゴールデングラブ賞(1987年※二塁手部門)
1983年ドラフト1位
香川県立志度商業高等学校
駒澤大学
日本ハムファイターズ (1984-1995)
オリックス・ブルーウェーブ(1996)
近藤 昭仁(こんどう あきひと、1938年4月1日-/香川県高松市)
バントなどの小技の光るプレーで、主に1,2打者として活躍した大洋のセカンドです。
入団1年目に日本シリーズMVPを獲得しています。
通算1619試合に出場し、1183安打・65本塁打・360打点・239犠打・打率.243の成績を残しました。
引退後は、横浜やロッテの監督も務めています。
高松第一高等学校
早稲田大学
大洋ホエールズ (1960 - 1974)
島谷 金二(しまたに きんじ、1945年1月23日-/香川県高松市)
オールスターにも6度選ばれた名サードです。
通算1682試合に出場し、1514安打・229本塁打・781打点・打率.269の成績を残しました。
ベストナイン2回(三塁手 1978年-1979年)
ダイヤモンドグラブ賞4回(三塁手 1975年.1977年-1979年)
1968年ドラフト9位
香川県立高松商業高等学校
四国電力
中日ドラゴンズ(1969-1976)
阪急ブレーブス(1977-1982)
牧野 茂(まきの しげる、1928年7月26日-1984年12月2日/香川県高松市)
1991年に野球殿堂入りも果たしている、戦後に活躍した中日のショートです。
通算756試合に出場し、445安打・9本塁打・134打点・打率.217の成績を残しました。
香川県立高松商業学校(旧制)
愛知県商業学校(旧制)
明治大学
名古屋ドラゴンズ/中日ドラゴンズ(1952-1959)
香川県出身の外野手
熊野 輝光(くまの てるみつ、1957年8月28日-/香川県木田郡三木町)
プロ入り前は1984年のロサンゼルスオリンピック野球日本代表の主将として、金メダル獲得に貢献しました。
通算740試合に出場し、434安打・50本塁打・195打点・打率.254の成績を残しました。
新人王(1985年)
ベストナイン(1985年)
1984年ドラフト3位
香川県立志度商業高等学校
中央大学
日本楽器
阪急ブレーブス/オリックス・ブレーブス/オリックス・ブルーウェーブ(1985-1991)
読売ジャイアンツ(1992-1993)
オリックス・ブルーウェーブ(1994)
中塚 政幸(なかつか まさゆき、1945年6月29日-/香川県高松市)
俊足を活かして、大洋の1番打者として活躍しました。
通算1643試合に出場し、1440安打・61本塁打・387打点・164盗塁・打率.278の成績を残しました。
オールスターにも4度選ばれています。
盗塁王(1974年)
1967年ドラフト2位
PL学園高等学校
中央大学
大洋ホエールズ(1968-1982)
穴吹 義雄(あなぶき よしお、1933年5月6日-/香川県高松市香川町)
選手としても監督・コーチとしても、南海一筋でプレーしました。
通算1166試合に出場し、814安打・89本塁打・404打点・打率.264の成績を残しました。
香川県立高松高等学校
中央大学
南海ホークス(1956-1968)
田尾 安志(たお やすし、1954年1月8日-/香川県三豊市)
生まれは香川県ですが、大阪で育っています。
オールスターにも7度選ばれ、安打製造機として活躍しました。
通算1683試合に出場し、1560安打・149本塁打・574打点・打率.288の成績を残しました。
最多出塁数(1982年)
新人王(1976年)
ベストナイン3回(1981年-1983年)
1975年 ドラフト1位
大阪府立泉尾高等学校
同志社大学
中日ドラゴンズ(1976-1984)
西武ライオンズ(1985-1986)
阪神タイガース(1987-1991)