吹奏楽の名曲シリーズ、今回はファリャ作曲の「三角帽子」を紹介したいと思います。
ファリャの「三角帽子」は吹奏楽で演奏されることも多くありますが、元々はオーケストラのために書かれたバレエ音楽です。
「三角帽子」の中でも、「粉屋の踊り」と「終幕の踊り」が特に人気の高い曲目です。
「三角帽子」はファリャがスペインに戻った頃の作品
マヌエル・デ・ファリャ(Manuel de Falla/1876年~1946年)は、20世紀に活躍したスペインの作曲家です。
ファリャは音楽家として成熟を迎えるころの1907年から1914年までをパリに滞在しました。
そこで様々な音楽家と交流を深め、その中にはドビュッシーもいました。
パリに長い期間滞在はしていましたが、ファリャの作品にはスペインの匂いを感じさせる作品が多くあります。
パリにいたファリャでしたが、その後第1次世界大戦にともない帰国を余儀なくされ、1914年9月にスペインのマドリードに戻ります。
この頃の1917年にロシアのバレエ団であるバレエ・リュスのために作曲されたのがこの「三角帽子」です。
このマドリードに戻った時期に彼の重要作品は書かれています。
晩年はアルゼンチンに亡命
1921年からはグラナダを居住地とし作曲活動もしていたファリャですが、1936年のスペイン内戦勃発で自体は一変します。
ファリャの親友が内戦で亡くなってしまったことをきっかけにアルゼンチンへ亡命してしまうのです。
その後帰国の要請は度々ありましたが、ファリャはそれを受け入れることなくアルゼンチンでその生涯を終えました。
初演の舞台・衣装はピカソが担当
ファリャの「三角帽子」は1919年に作曲されたバレエ音楽で、全2幕で13曲からなります。
バレエ音楽ですが上演時間は約40分と短めです。
1919年7月22日にロンドン・アルハンブラ劇場で初演されたのですが、初演の舞台・衣装デザインはあのパブロ・ピカソが担当しました。
そしてアメリカでの初演時の舞台・衣装デザインはサルバドール・ダリが担当しました。
このビッグネームの2人が「三角帽子」には関わっているのです。
物語はスペインの小説家、アラルコンの「三角帽子」をもとにして台本が書かれました。
権力者(三角帽子)が降参するスッキリ話
この物語は、権力者が降参するスッキリしたストーリーです。
限りなく簡略化してこの物語を説明したいと思います。
さえない男(粉屋)には美人妻がいました。
この美人妻を、女好きお偉いさんが狙います。
「何やかんやのドタバタ劇」があり冷や冷やもののシーンもありましたが、お偉いさんは美人妻を手に入れることはできずに逃げていく、というストーリーです。
このお偉いさん(代官)が三角帽子をかぶっているので、このタイトルが「三角帽子」になっています。
ファリャ「三角帽子」の吹奏楽の演奏
海上自衛隊東京音楽隊 バレエ音楽「三角帽子」より 終幕の踊り