1853年ペリー率いる黒船が浦賀に来航しました。
開国と江戸幕府の崩壊に繋がる、日本を震撼させて出来事です。

このとき黒船は、武器などの最新技術はもちろんですが、それと同時に実は西洋の音楽も運んできました。

ペリーの軍隊の中には軍楽隊も含まれていたわけです。
軍楽隊の他にも10代半ばの若い鼓笛隊も上陸していました。

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誰でも知ってる有名曲が幕末に日本に伝わっていた

それでは一体どのような音楽がその当時流れていたのでしょう。
その中には皆さんがご存知の音楽もあります。

例えば、
アルプス一万尺
です。
日本で知らない人はいない曲ですね。

これはアメリカではヤンキー・ドゥードゥルというタイトルで軍楽隊で演奏されていた曲です。
元々はイギリス人がアメリカ人のことをヤンキーと馬鹿にしている歌です。
今はアメリカ人が自分たちがヤンキーであることに誇りをもって自ら歌っています。
不思議な曲ですね。

幕府とアメリカのパーティが船で開催された

実はペリーが来航したとき、幕府の要人70人が招待されて船の甲板でパーティが開かれています。

軍楽隊の演奏に加えて、歌ったり踊ったりの流行りのショーもおこなわれました。

なんとその公演プログラムも残されています!
そのプログラムの中にはフォスターの歌曲も含まれていました。

ちなみに幕府の要人たちにも大好評だったらしいです。

さらに驚くことにはペリーが来航した後に、スネアドラムが日本の中でブームになったそうです。
スネアドラムがブームだなんて、少し面白いですね。

クラシック音楽も幕末に日本に届けられた

アメリカの軍隊の中で兵士が亡くなった時には、実はクラシック音楽も演奏されていました。

亡くなったアメリカ兵を埋葬するために遺体を船から増徳院というお寺に運んだ記録があります。
その時に、ヘンデル作曲のオラトリオ「サウル」から葬送行進曲が演奏されたというのです。

ただ演奏していたのはたった二人だったと考えられています。
階級が低い兵士だと演奏する人数も少なくなるそうです。
もしかすると二人の演奏だと、ヘンデルの音楽の美しさは日本人には伝わらなかったかもしれませんね。

幕末の頃の音楽事情

せっかくですので、幕末の頃の西洋と日本の音楽の流行について紹介したいと思います。

西洋

まずは西洋の音楽からです。
ペリー来航の1853年とちょうど同じ年に、あの有名なヴェルディの椿姫がイタリアのヴェネツィアで初演されています。
乾杯の歌はあまりにも有名ですね。

天才ピアニストのリストがハンガリー狂詩曲を発表した時期でもあります。

ヨーロッパではロマン派の充実期を迎えていたわけです。

日本

その頃日本では歌舞伎の傑作が誕生しました。
ちょうど1853年に与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)が初演されています。

またお座敷での遊びうたである端唄(はうた)が流行しはじめていました。

鎖国を続けていたがために、このように西洋とは全く違った独自の音楽や文化が生まれたのかもしれませんね。

西洋の音楽を楽しみつつ、日本の音楽や文化も大切にしていかなければいけないなと思います。

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