ハイドンにまつわる「皆に話したくなるエピソード」を紹介

「音楽の父」はバッハ、「音楽の母」はヘンデルですが、同様にハイドンは「交響曲の父」と呼ばれています。

ハイドンは18世紀後半を中心に活躍したオーストリアの作曲家です。
代表作は弦楽四重奏の「皇帝」などがあります。
モーツァルトやベートーベンを指導したこともあります。
教科書でも交響曲シンフォニーの父として習った方もいると思います。
ハイドンがいなければ、モーツァルトやベートーベンも出てこなかったと言っても過言ではないかもしれません。
そのハイドンが残したシンフォニーは100曲を超えます。

ハイドンの時代の交響曲と、それ以降のベートーベンなどの交響曲とは少しテイストが違います。
ハイドンの頃の交響曲はベートーベンの頃に比べて軽いものです。
コンサートやパーティなどの客入れ時に演奏するものとして、交響曲は使われていました。
オーケストラがその場を暖めて盛り上げる役割を果たしていたわけです。

そんなハイドンのこぼれ話を今回はしたいと思います。

Haydn

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ハイドンの首が盗まれた!?

1809年、ハイドンは77歳で亡くなりました。
その翌日、自宅のあったウィーンで葬儀が行われました。
ハイドンの遺体はそこに埋葬されました。

それから11年後の話です。
ハイドンは生前にハンガリー貴族の孫であるニコラス二世に30年もの間仕えていました。
ニコラス二世は、「ハイドンは思い出の地であるアイゼンシュタットに埋葬されたがっていた」という話を聞きつけます。

ニコラス二世はこの話を実現しようと、遺体を掘り起こして移す作業をしようとしました。
そして、遺体を掘り起こしたときに驚くべきことが起こりました。
なんと遺体には頭の部分がなかったのです。

ハイドンの首は一体どこに行ってしまったのでしょうか。

実はオーストリアの刑務所の管理人であるペーターという人物が、ハイドンの頭蓋骨を盗んだとされています。
ペーターは頭蓋骨の収集が趣味だったそうです。
なんという悪趣味でしょう。
当時から大変人気があり権威もあった音楽家であるハイドンの頭蓋骨が欲しかったわけです。

この後ハイドンの頭蓋骨は様々な人の手に渡りました。
そして1954年になって初めて、150年ぶりに首と胴体が一緒に埋葬されました。

びっくりシンフォニー

concert

100曲以上のシンフォニーを書いたハイドンです。
曲の中には、風変わりの曲もありました。

例えば
交響曲 第94番
です。
これは通称「びっくりシンフォニー」と呼ばれています。

何がびっくりかというと、突然デカイ音が鳴るのです。
これは演奏中に寝ている客を起こすために作られた曲だと言われています。

なんともおかしな話ですよね。

単身赴任の寂しさを曲で表現

ハイドンはハンガリーのエステルハージ候に30年に渡り仕えていました。
エステルハージ候は春から夏にかけて別荘で生活をしていました。
彼に仕えるオーケストラの楽団ももちろん一緒です。
オーケストラの楽団員は単身赴任をすることになります。

ある年、予定より滞在が長引き家族に会えない楽団員たちの不満がつのりました。
そこで、ハイドンは楽団員の家族への寂しさを伝えるために曲を作りました。

交響曲 第45番
通称「告別」です。
この告別ではとても面白い演出が行われています。

それは「演奏を止めて演奏者が少しずつステージからいなくなる」演出です。
最期にはヴァイオリン2人で演奏が終わります。
曲の終わりには2人しかステージにはいないわけです。
演奏を止めてステージから消えることで、楽団員の家族への思いを雇い主に伝えようとしたのですね。

なんともユーモア溢れる演出です。

是非皆さんもハイドンのエピソードを周りの方に話してみてはいかがでしょうか。

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