シューマンに関する「皆に話したくなるエピソード」

音楽家にまつわるエピソードですが、今回はシューマンを取り上げてみたいと思います。
素晴らしい音楽はもちろんですが、その悲劇的な人生からシューマンを愛するクラシックファンは多いと思います。

やはり順風満帆な当たり障りのない人生よりも、少し劇的な方が惹かれてしまうのは人間の性でしょうか。

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シューマンのこぼれ話

シューマンは19世紀前半に活躍したドイツの作曲家で、音楽評論家でもあります。
弟子にはドイツ音楽三大Bのブラームスがいます。
ベートーベンの後に出たショパン、メンデルスゾーンなどと同じ世代です。

シューマンは元々ピアニストでしたが指を怪我したために、作曲家に転向しました。
またシューマンは文学に造詣が深く音楽雑誌の編集長も務めていました。

schumann

彼の妻の名前はクララと言います。
クララは当時とても人気のあったピアニストでした。
おしどり夫婦としても知られていたようです。

シューマンはブラームスに嫉妬して自殺未遂をした!?

シューマンの音楽人生は途中までは順風満帆のように見えました。
しかし、その晩年は苦悩にみちた日々でした。

亡くなる3年前である1853年9月にシューマンの家に、20歳のある若手音楽家が訪れました。
その若者は自作の曲をシューマンとクララに渡しました。
この曲にシューマンはとても感動したと言われています。
シューマンはその若者を弟子として育てることにしました。

その若者こそがブラームスでした。
シューマンは音楽雑誌でもブラームスを大絶賛しています。

Brahmsブラームス

しかし、2人が出会って半年も経たないうちにシューマンに異変が起こります。
なんと幻聴を訴えはじめるのです。
さらにシューマンには悲劇が襲います。

ピアニストであるクララはブラームスに対して尊敬の心を抱くようになります。
クララは「壮大なオーケストラ曲を作ってこそ大作曲家である」と考えていました。
ブラームスにはその力がありましたが、シューマンにはその素質はなかったのです。
それを感じ取っていたシューマンは、ブラームスに嫉妬をしたと言われています。

そしてついに、ライン川に身を投げてしまいます。
一命はとりとめましたが、シューマンはそれから入院生活を送ることになります。

その間に妻であるクララを支えたのが弟子であるブラームスでした。
シューマンの希望の星だったブラームスが、妻のクララを本当に奪ったかどうかの真相はわからずじまいです。

しかし、恐ろしいエピソードも残されています。
1856年7月29日、シューマンは入院中の病院で息を引き取りました。

その死の前にシューマンは、
「私は知っている」
と言ったといいます。

何を知っているのかは謎のままですが、ブラームスとクララの関係を指しているのかもしれません。
シューマンの人生はブラームスとの出会いから狂っていったのかもしれませんね。

ちなみにブラームスとクララは生涯結婚はしていません。
しかし、ブラームスは亡くなるまで自分で書いた曲を初めてみてもらうのはクララだったそうです。

是非シューマンのこれらのエピソードを周りの方にも話してみてはいかがでしょうか。

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