チョーさん、ミスタージャイアンツ、ミスタープロ野球の名で親しまれている長嶋茂雄。
説明不要の日本プロ野球の歴史において最も偉大な選手の一人です。
長嶋茂雄と王貞治の「ON砲」は日本の高度経済成長のシンボルでもありました。
最近では松井秀喜と共に国民栄誉賞を授与し話題を呼びました。
また一風変わった話し方でも親しみを持たれていますね。
日本語と英語の混じった摩訶不思議な文章は、凡人には思いつきませんよね。
「失敗は成功のマザー」だなんて、ほかに言うのはルー大柴くらいです。
みなさんもご存じの通り国民的な人気を誇る長嶋さんには多くの伝説や逸話が残されています。
それをここで少しまとめてみたいと思います。
酒のネタとしてもぴったりですね。
小さい頃は阪神ファン
意外や意外、長嶋茂雄はかつては阪神ファンでした。
藤村富美男に憧れプロ野球選手を目指すようになったと言われています。
中学生の頃では既に将来の夢は「プロ野球選手」でした。
しかし、中学の担任の先生に「もっと現実的な目標をたてろ!」と叱られたこともありました。
そのときには、他の生徒と一緒に土下座をさせられたそうです。
先生もまさか日本を代表するプロ野球選手になるとは思ってもいなっかたことでしょう。
金田正一に4打席連続三振~幻のトリプルスリー~
これは有名な話です。
プロ1年目の開幕戦で長嶋は金田に4打席連続三振をしてしまいます。
実は翌日の試合でもリリーフで登板した金田に長嶋は三振をしています。
しかし、この後の1年目の長嶋の活躍は素晴らしいものでした。
本塁打王と打点王の二冠王となりました。
そのときの成績は
打率 .305
打点 92
本塁打 29
盗塁 37
でした。
このシーズンで長嶋はホームランのときにベースを踏み忘れてホームランを1本損しています。
ベースを踏んでいれば「1年目でトリプルスリー」を達成していました。
幻のトリプルスリーだったのです。
日本プロ野球史上初の天覧試合でサヨナラホームラン
長嶋さんの逸話はどうしても有名な話ばかりになってしまいます。
1959年6月25日に後楽園球場で初の天覧試合がおこなわれました。
昭和天皇が初めてプロ野球を観戦したのですね。
そこで長嶋はサヨナラホームランを打ちます。
大学時代から人気のあった長嶋の大活躍で試合は大盛り上がりでした。
実はこの時代はプロ野球は栄えていませんでした。
今では考えられませんが、プロ野球より大学野球の方が人気があったのです。
そのあまり人気のなかったプロ野球に火をつけたのがこの試合だとも言われています。
こんな作り話のようなストーリーを生み出せるのは長嶋しかいません。
大学野球のスーパースターの長嶋が、プロ野球の人気に火をつけて、プロ野球のスーパースターとなっていくのです。
ちなみにこの試合でサヨナラホームランを打たれた村山実は亡くなるまで「あれはファールだった」と言っていたそうです。
またこの試合では王貞治がホームランを打っています。
これが実は「ON砲第1号」でした。
王さんの長嶋さんの初のアベックホームランだったのです。
それが天覧試合だなんて信じられないくらい出来過ぎた話です。
その村山実ですが、1500奪三振・2000奪三振は長嶋から奪っています。
よきライバルとして戦った彼らですが、現役時代は交流はありませんでした。
しかし、引退後は「チョーさん」「村さん」と呼び合い仲良く交流していたそうです。