京都、会津などは幕末好きにとても人気のスポットです。
しかし東京にも幕末を感じることのできるスポットは多くあります。

そして東京のど真ん中である日比谷や有楽町にももちろん幕末を感じられる場所はあります。
帝国劇場・東京国際フォーラム・日比谷公園なども実は幕末に関係した場所です。

今回は日比谷駅・有楽町駅周辺の幕末スポットを紹介したいと思います。

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鳥取藩池田屋上屋敷跡(現・帝国劇場)

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帝国劇場

住所:東京都千代田区丸の内3-1-1

現在の帝国劇場に鳥取藩の池田屋上屋敷はありました。
鳥取藩は幕末に水戸藩主・徳川斉昭の5男である慶徳が家督を継いだことで、幕府側か倒幕側かで藩内は揺れましたが最終的には新政府側となりました。
その後、敷地は新政府のものとなり、1869年に明治初期の軍令・軍政機関である兵部省の用地となりました。

土佐藩山内家上屋敷跡(現・東京国際フォーラム)

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東京国際フォーラム

住所:東京都千代田区丸の内3-5-1

江戸時代には東京国際フォーラムの場所に土佐藩の上屋敷がありました。
上屋敷坪数は7355坪もあったと言われています。
第15代藩主である山内容堂もここに住んでいました。
明治維新後の1871年に還納されました。

山内容堂は後藤象二郎をとおし、坂本龍馬の「船中八策」を受理しました。
そして大政奉還の建白書を幕府へ提出しました。
これにより日本の歴史は大きく動いていくのです。

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日比谷見附跡(現・日比谷公園)

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日比谷見附跡

天璋院篤姫が薩摩藩より江戸城へ入るときには、日比谷御門が使われました。
その側にあったものが日比谷見附です。
日比谷公園の有楽門(有楽町方面入口)を入ってすぐのところにあります。

見附とは、いわゆる監視所です。
番兵を常駐させて江戸城周辺に厳戒態勢をとっていました。
城の警護のためにありましたので、当然江戸城の周囲を囲んでいます。
当時江戸城周辺には36か所の見附がありました。
見附という言葉は地名として普段よく聞きますよね。

現在では四谷や赤坂の御門の見附跡も残っていますが、ここ日比谷見附の跡には城郭の一部の石垣も残っています。

長州藩毛利家上屋敷跡(現・日比谷公園)

現在の日比谷公園に長州藩毛利家の上屋敷はありました。
第1次長州征伐の後に、この領地はとられてしまします。
維新後には陸軍練兵場となり、その後1902年に日比谷公園として整備されました。

薩摩藩島津家中屋敷跡(旧・鹿鳴館/現・NBF日比谷ビル)

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NBF日比谷ビル

住所:東京都千代田区内幸町1-1-7

現在のNBF日比谷ビルに薩摩藩島津家中屋敷がありました。
写真の全面ガラス張りのビルですね。
当時、琉球(沖縄)は薩摩藩の管理下にありました。
そのため琉球の施設が江戸城へ入るときには、この屋敷で装束を着替えていました。
そのため、装束屋敷とも呼ばれました。

その後、明治維新の象徴的建物である鹿鳴館がこの地に建てられました。
鹿鳴館は1940年に老朽化のために取り壊されてしまいました。