京都、会津などは幕末好きにとても人気のスポットです。
しかし東京にも幕末を感じることのできるスポットは多くあります。

今回は四ツ谷駅周辺の幕末スポットを紹介したいと思います。
四ツ谷には「大久保利通が暗殺された場所」「岩倉具視が襲われた場所」などもあります。

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紀尾井坂

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贈右大臣大久保公哀悼碑

紀尾井坂は尾張徳川家(現・上智大学)、紀州徳川家(現・清水谷公園/グランドプリンスホテル赤坂)、彦根藩井伊家(現・ホテルニューオータニ)などの大藩の邸宅がありました。
大久保利通の邸宅もこの道沿いにありました。

清水谷(清水谷公園)から喰違見附までの200mほどの長さの坂で清水坂とも呼ばれています。
紀尾井の名前は、尾張の「尾」、紀州の「紀」、井伊家の「井」を一文字ずつ取ってつけられています。

1878年、大久保利通は自宅から赤坂仮皇居へ向かう途中に待ち伏せされていた旧加賀藩士・島田一郎らににより、この地で暗殺されました。
これは紀尾井坂の変とも呼ばれています。
清水谷公園(大久保邸跡)には「贈右大臣大久保公哀悼碑」が建っています。

喰違見附跡

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喰違見附

住所:東京都千代田区紀尾井町4

喰違見附は二つの谷に挟まれており、江戸城外堀の中でも最も高い場所にありました。
桝形は石垣を使わずに土塁で固めた簡単なものでした。
この土塁の一部が現在も残されています。
紀尾井ホールの側にあります。

1874年に岩倉具視がここで暴漢に襲われます。
しかし外濠に落ちたのが幸いし、命は助かりました。

見附とは監視所のことで、番兵を常駐させて江戸城周辺を監視していました。
当時は江戸城周辺を取り囲む36か所の見附がありました。

現在では四谷の他にも、赤坂と日比谷にも見附跡が残っています。
日比谷見附跡では城郭の一部の石垣を現在でも見ることが出来ます。

彦根藩井伊家中屋敷跡(現・ホテルニューオータニ)

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彦根藩井伊家中屋敷跡

住所:東京都千代田区紀尾井町4-1

戦後建てられたホテルニューオータニの場所は、かつて徳川譜代筆頭であった彦根藩井伊家中屋敷がありました。
碑がありますので、四ツ谷へ寄ったときにはせっかくですので立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
庭園も残されており、とても美しいですよ。

井戸大内蔵屋敷跡

幕臣である井戸覚弘の屋敷跡です。
長崎に来航したフランス艦隊の対応やアメリカ人漂流民引き渡しなどをおこないました。
その業績が老中・阿部正弘に認められ、1854年にペリーが再来航したときには米国使節を接待する一人として参加し、日米和親条約の締結にも関わりました。

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