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2016年の阪神タイガースの監督に金本知憲さんが決まりました。
低迷する阪神がどう変貌するのかが楽しみでもあります。
元々は広島カープの選手でしたが、今やすっかり阪神のイメージです。
選手時代は、連続イニング・連続試合フルイニング出場数の世界記録を樹立し、連続無併殺打の日本記録も達成しました。
「アニキ」のニックネームで多くの人に親しまれています。
ここでは金本知憲さんの伝説や逸話を紹介したいと思います。
プロ入り前
甲子園出場はかなわなかった
金本さんは小学校4年生の時に「広島中央リトル」で野球を始めますが、1年で辞めてしまいます。
不屈の闘志がイメージとしてある金本さんの経歴としては、以外の過去ですね。
この「広島中央リトル」の1学年下には、横浜で左のエースとして活躍した野村弘樹さんが在籍していました。
その後、中学では野球部に入り広陵高校に進学します。
広陵高校の野球部では2年生からレギュラーにはなりましたが、甲子園出場の夢はかないませんでした。
高校通算のホームラン数は20本でした。
まだ金本さんのポテンシャルはここでは完全には開花していなかったようです。
高校卒業後の悲劇
金本さんは大学進学のために法政大学野球部のセレクションを受ける予定でしたが、広陵高校の監督がセレクションの日程を伝え間違えてしまいます。
そのせいで金本さんは浪人を余儀なくされます。
1浪後、中央大学野球部のセレクションを受けようとしますが、中央大学は現役の高校生しかセレクションを受けられませんでした。
広陵高校の監督は金本さんに「浪人生もOK」と伝えていたそうで、金本さんはまたもや悲劇に襲われます。
この話が100%事実だとしたら、一体どのような監督さんだったのでしょうか...
この期間に、ヤクルトスワローズの入団テストを受けましたが、それも不合格となってしまいます。
一般受験で大学進学し、才能も開花
セレクションが受けられなかった金本さんは、一般受験で東北福祉大学に入学し野球部に入ります。
そこで金本さんの才能は大きく開花しました。
1年生からレギュラーを掴み、4年連続で全日本大学野球選手権大会に出場しました。
そのうち2回は準優勝し、最後の4年生の時には見事優勝を果たしました。
同級生には斎藤隆さん・浜名千広さんが、1年先輩に矢野燿大さんが、2年先輩に佐々木主浩さん・大塚孝二さんがいました。
まさに黄金時代ですね。
金本さんは1浪していますので、年齢的には矢野さんと同級生です。
そして日米大学野球選手権大会日本代表に選出されるまでになりました。
ちなみにその時の同部屋が、阪神でもチームメイトとなった桧山進次郎さんだったそうです。
1991年のドラフト会議で広島東洋カープが4位指名を受け、晴れてプロ野球選手となります。
プロ入り後
広島時代
プロ入りした金本さんですが、すぐには芽が出ず金本さんはクビも覚悟していたそうです。
プロの中では非力だった金本さんは肉体改造に取り組み、プロとしての身体づくりを行います。
そして3年目の後半から結果が出始め、4年目の1995年には5番バッターとして開幕スタメンに選ばれます。
そしてこの年にはベストナインにも選ばれました。
その後はケガで欠場することもありましたが、広島の主軸として活躍し2000年には3割30本30盗塁のいわゆる「トリプルスリー」を達成します。
金本選手は鉄人のイメージが強いですが、全試合出場を初めて達成したのは1999年のことです。
レギュラーとしてほとんど試合に出てはいましたが、入団してからの初めの7年間は意外にも全試合出場はありませんでした。
阪神時代
2002年、金本さんはFA宣言をします。
金本さんは広島へ残留する意思があったとも言われていますが、広島がFA宣言後の残留を認めていなかったため阪神へ移籍します。
当時阪神の監督であった星野仙一監督の熱い思いで、阪神への移籍を決めたと言われています。
背番号は藤田平さん、和田豊さんも付けた「6」を受け継ぎます。
金本さんの背番号いといえば、多くの人は広島時代の「10」ではなく、この「6」を思い出すのではないでしょうか。
入団1年目から活躍し、日本一には惜しくもなれませんでしたが、阪神の18年ぶりの優勝に大きく貢献します。
日本シリーズでの4本のホームランは今でも伝説として語り継がれています。
翌年の2004年には打率・本塁打・打点で自己最高記録の成績を残し、金本さんにとって初めてのタイトルである打点王も獲得しました。
この年に死球直後の試合で右手一本でヒットを打った映像は今でもよく流れる映像です。
また連続試合フルイニング出場の日本新記録も達成しました。
2005年40本塁打を放ち、打率・本塁打・打点のすべてでさらに自己記録を更新しました。
リーグ優勝もしてMVPにも選ばれましたが、またも日本一にはなれませんでした。
その後も阪神の主力として活躍しますが、伝説的なシーンとしては2009年4月8日と4月10日で3打席ホームランを打ったことが挙げられます。
同じ月での2度の3打席ホームランは史上初めてのことでした。
そして連続イニング・連続試合フルイニング出場数の世界記録を樹立し更新し、連続無併殺打の日本記録も達成しました。
ケガの影響もあり晩年は思うような成績は残せませんでしたが、鉄人の姿は健在でした。
アニキのこぼれ話
アニキとして親しまれている金本さんは野球以外にもエピソードが残っています。
2006年カル・リプケンの8243イニング連続出場を更新したシーズンには、球団の裏方さんなどのスタッフに試合の副賞でもらった賞金や賞品などをプレゼントしたそうです。
若手も食事へ誘ったりしていたそうなので、まさにアニキ的存在だったのですね。
今後は指導者としても、魅力を存分に発揮する金本さんに期待したいですね。