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壇ノ浦の戦いは、平安時代の末期(1185年)に長門国赤間関壇ノ浦で行われた戦いです。
現在の山口県下関市にあたります。
この下関市の「みもすそ川公園」には、その壇ノ浦の戦いを再現した銅像があります。
源義経と平知盛が戦っている像で、とても見ごたえがあります。
歴史好きであれば下関市を訪れたときには、是非訪れておきたい観光スポットです。
源義経・平知盛の像
源義経・平知盛の像は2004年(平成16年)に完成したもので、比較的新しい銅像です。
源義経の「八艘(はっそう)飛び」と平知盛の「碇潜(いかりかつぎ)」の様子が表現されています。
「八艘飛び」とは、源義経が壇ノ浦の戦いで船から船へと次々と飛び移っていった様のことを指します。
「碇潜」とは、平知盛が壇ノ浦の戦いで碇の鋼を身体に巻き付けて入水する様を指します。
壇ノ浦の戦い
壇ノ浦の戦いは、源氏と平氏が争った源平合戦の最後の戦いです。
この戦いで、平家は滅亡することとなります。
初めは平家優勢
開門海峡でおこなわれたこの戦いは、初めは水上の戦いに秀でていた平家が有利に進めます。
当時船の舵取りを攻撃することはルール違反でした。
ドラマや小説では義経がこのルールを無視し舵取りを攻撃することで勢いを取り戻したように描かれています。
また「平家物語」では1部の平家が寝返ったことで、義経が力を取り戻したとされています。
源氏優勢→平家滅亡
潮の流れが変わり源氏が攻撃に出ると形勢は逆転し、平家の敗北は決定的となります。
敗北を悟った平家の兵たちは、海へと次々と身を投げ出します(入水)。
平家の悪あがき→源義経の八艘飛び・平知盛の碇潜
敗北の決まった平家ですが、せめて敵の大将である源義経の命だけはと、義経を狙います。
義経はこれを見事にかわし、船から船へと次々と飛び移ります。
これが「源義経の八艘飛び」です。
そして最後に敵方の平知盛も入水を決意します。
この入水をするさまを描いたのが「碇潜をしている平知盛の像」です。
碇を身体に巻き付けて海へと体を投げ出す直前の様子だと思われます。
こうして源氏と平氏の長きに渡る戦いは幕を閉じたのでした。