セロニアス・モンク(Thelonious Monk、1917年10月10日~1982年2月17日)は、「奇才」という表現をよく使われます。

幼少の頃からピアノを弾いてはいましたが正規の教育は受けたことがなく、独学でテクニックを磨いていきました。

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伝説のライブハウス「ミントンズ」の初期メンバー

モンクがビ・バップの聖地とも言われるライブハウス「ミントンズ(Minton's)」のピアニストになったのは、20歳のころでした。
「ミントンズ」は1938年に出来たばかりで、オープン当初からセロニアス・モンク、ケニー・クラーク、チャーリー・クリスチャン、チャーリー・パーカー、ディジー・ガレスピーといったミュージシャンが出演していました。
彼ら「ミントンズ」のメンバーによってモダン・ジャズは発展していきます。

この頃のモンクの演奏は、客からクレームを受けることがあったそうです。
若い時期からその独学で磨いた奏法は、聴き手には変わって聴こえたのかもしれません。

独特なプレイスタイル


こちらは1966年にデンマークでおこなわれたライブ映像です。
ピアノを習ったことがある人であればこのピアノの指使いには驚きを隠せないと思います。
独学でピアノを演奏しているピアニストに時々見られる「長い指を思い切り反った弾き方」がとても印象的です。

30歳の頃に出した不朽の名作

1940年代ごろからピアニストとして活躍し始めたモンクが出した不朽の名作「Genius Of Modern Music: Volume 1」は1947~1948年の作品で、彼が30歳の頃の作品です。
1947年はモンクがバンド・リーダーとして初めての録音がなされただけではなく、恋人ネリー・スミス(Nellie Smith)と結婚した年でもありました。
彼にとっては大きな1年だったことでしょう。

これを皮切りにモンクは各地で演奏活動をおこない、多くの録音を残していきます。
そして彼が30代後半の頃には世界的なジャズピアニストとして評価されるようになってきました。

1971年まで積極的に活動

モンクはそれ以降1971年まで積極的に活動を続けました。
途中1951年に麻薬を疑われ数カ月拘留の後に、ニューヨークでの演奏許可を6年間も取り上げられてしまう不幸もありました。

1971年以降の晩年の10数年間は表に出ることは少なくなりました。
晩年は、躁うつ状態で精神的に苦しんでいたとも言われています。
家族やごく親しい人以外と交流をもつことは、ほとんどなかったそうです。

セロニアス・モンクの魅力が詰まった1枚

ブリリアント・コーナーズ(Brilliant Corners)はモンクが1957年に発表したアルバムです。
ジャズ界の名盤でもあり、問題作でもあります。
タイトル曲は不協和音を多用されていたり、テンポが頻繁に変化したり、まさしく「先進的な」音楽です。
全体を通して「聴きやすい音楽」では決してありませんが、モンクの魅力がたっぷり詰まっています。
このCDがモンクの最高傑作だと言う人も少なくありません。

テナー・サックスのソニー・ロリンズの演奏も必聴です。

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