読売巨人軍の不動のセットアッパーとして活躍している山口鉄也選手ですが、2014年、2015年は長年の勤続疲労か思うような成績が収められていません。
ジャイアンツが優勝するためには山口鉄也選手の復活は不可欠ですね。
「ぐっさん」にニックネームで親しまれている彼の8回の活躍に今年はさらに期待したいと思います。
ここでは、山口鉄也選手の「伝説と逸話(エピソード)」を紹介したいと思います。
高卒からダイヤモンドバックスへ
山口選手は小学校1年から軟式野球をはじめ、そのまま中学校まで軟式野球を続けます。
そして野球の古豪として有名な横浜商業高校へ進学します。
甲子園出場はなりませんでしたが、エースとして神奈川県大会ベスト8進出へ貢献しました。
そしてその後は、アリゾナ・ダイヤモンドバックスのスカウトから誘いを受けたことから、入団テストを受けます。
そして見事合格しマイナー契約し、アメリカ野球へ旅立ちます。
高卒でアメリカへ行くことは当時は現在よりもさらに珍しいことです。
ほとんどの選手が大学・社会人へ進みプロを目指す中、どのような思いへ山口選手はアメリカへ渡ったのでしょうか。
育成の星の山口選手は、性格は大人しい印象がありますが身体の中には熱い魂が流れていることを感じさせてくれます。
アメリカでの挫折~巨人と育成契約
アメリカで4年間プレーした山口選手でしたが、シングルAにも1度も上がることが出来ず帰国することになります。
帰国後、横浜ベイスターズと東北楽天ゴールデンイーグルスの入団テストを受けましたが不合格となります。
横浜のテストでは大魔神こと佐々木主浩も見学しており、山口選手の才能に気付き獲得を勧めたと言われています。
もしここで獲得していれば、横浜の投手陣の柱として加わっていたのかもしれませんね。
そして山口選手曰く「最後の記念」に受けた読売ジャイアンツの入団テストに見事受かり、育成選手として契約します。
育成選手の制度はこの年から始まっており、山口選手は育成選手の1期生なわけです。
支配下登録~育成の星へ
1年目から山口選手は2軍で活躍し(防御率1.61)、2年目で支配下登録され32試合に登板しました。
そして3年目からの活躍はご存知の通りで、8年連続で60試合以上の登板を果たしています。
2015年終了まででの251ホールドの記録は日本記録です。
これからもこの数字をさらに伸ばしていってほしいですね。
数百万円しかなかった年俸は、3億2000万円にまで跳ね上がりました。
原巨人のリーグ優勝や日本一はいずれも彼なしでは語れません。
第2回WBCでも日本代表として4試合を無失点に抑え、日本の優勝にも貢献しました。
第3回WBCでも日本は残念な成績に終わりましたが、代表入りし5試合に登板しています。
山口選手は育成から最も花開いた選手と言ってもいいのではないでしょうか。
2016年にはロッテの西野選手が育成出身の選手として史上二人目の1億円プレーヤーとなりました。
育成から這い上がってきた選手の活躍はやはりワクワクするものがあります。
ここ2年不調の山口選手ですが、是非2016年は素晴らしい成績を収めてプロ野球ファンを魅了してくれることを期待したいと思います。