幕末 ペリーは文明と共に西洋音楽を運んできた 1853年ペリー率いる黒船が浦賀に来航しました。 開国と江戸幕府の崩壊に繋がる、日本を震撼させて出来事です。 このとき黒船は、武器などの最新技術はもちろんですが、それと同時に実は西洋の音楽も運んできました。 ペリーの軍隊の中には軍楽隊も含まれていたわけです。 軍楽隊の他にも10代半ばの若い鼓笛隊も上陸していました。 誰... 2015年9月2日
幕末 「安政の大獄」の引き金となった"戊午の密勅(ぼごのみっちょく)" 第14代将軍をめぐる「南紀派」(徳川慶福派)と「一橋派」(一橋慶喜派)の争いは、南紀派の井伊直弼が大老に就任したことで南紀派が勝利しました。 しかし、まだまだ食い下がりたい「一橋派」は井伊直弼の弱みにつけこみます。 それは、日米修好通商条約を天皇の許可なく井伊直弼が調印したことです。 日米修好通商条約は日本にとって「不... 2015年8月22日
幕末 "ペリー来航"の詳細情報を、幕府は事前に把握していた!? 江戸時代に鎖国を貫いてきた江戸幕府ですが、オランダとは交易がありました。 「ペリー来航」「黒船来航」 と言うと、民衆が戸惑い慌てふためいた印象があります。 少なからず混乱が起きたことは間違いないでしょう。 しかし、実は幕府は事前にペリーが日本へやってくる情報を得ていたのです。 幕府は黒船に関して細かい情報まで把握 18... 2015年8月21日
幕末 八木邸で「新撰組の羽織をまとった」コスプレ団体に遭遇 新撰組ファンが京都旅行をしたときに、外せない観光スポットが八木邸です。 新撰組が京都にここに来た時に、宿を構えた場所です。 まだ、新撰組という名の付く前の話ですね。 一時的な宿として八木家は自宅を貸したわけですが、新撰組は江戸へ帰らずそのまま居座ってしまったわけです。 芹沢鴨の殺害現場もここにあります。 沖田総司のもの... 2015年8月19日
幕末 薩摩藩はイギリス人殺害をきっかけに、イギリスと親密になった!?〜生麦事件、薩英戦争を通して〜 1862年、島津久光は幕政改革を訴えるために、藩兵を率いて江戸へ行きます。 久光は軍事力を見せつけることで幕府を脅し、一橋慶喜を将軍後見職に松平慶永を政事総裁職にすることに成功します。 幕府は、外様大名である薩摩藩の言うことを聞かざるをえなかったのです。 幕府の権力は少しずつ落ちてきたのは、目に見えて明らかになってきま... 2015年8月18日
幕末 土佐勤王党がいれば、明治維新で土佐藩はもっと活躍していた!? 尊皇攘夷論と積極的な行動で倒幕をリードしていったのは長州藩ですが、土佐藩も忘れてはいけない藩の一つです。 黒船来航後、土佐藩の中でも尊皇攘夷論は盛り上がります。 その中で、頭角を現してきたのが武市半平太(武市瑞山)です。 武市は江戸へ留学し三代道場の一つである士学館に入門し免許皆伝、さらには塾頭となります。 江戸には諸... 2015年8月17日
幕末 超過激な"安政の大獄"で、自分の首を絞めた井伊直弼 日米修好通商条約で、不平等条約を日本は結ばされます。 原因はもちろん幕府にあります。 幕末の志士たちは 「これからの日本を守らないといけない!」 と立ち上がります。 幕府の独断の条約調印に、大名や公家たちも不満をあらわにします。 そして、朝廷と幕府が協力して政治をおこなう公武合体を目指そうとします。 その過程で朝廷が水... 2015年8月16日
幕末 ペリーより恐い!?ハリスに負けて日米修好通商条約 日米和親条約では 「やむを得ない事情のときは、下田に領事をおく」 という内容が含まれていました。 アメリカはこの条件を 「日本はやむを得ないと思わなくても、アメリカが思えばOK」 と解釈します。 そして、下田にハリスを送り込んできました。 交渉というのは難しいものですね。 幕府は、もちろんこれに戸惑います。 ちょうどそ... 2015年8月15日
幕末 日米和親条約はペリーもギリギリの勝負だった!? 初めての日本訪問でペリーは、幕府にフィルモア大統領からの国書を渡しました。 そして、国書の回答を得るために再来日することを幕府に伝えて一度日本を去りました。 ペリーはフィルモア大統領に信頼されており、ある程度自由に行動できていました。 しかし、初めての日本訪問後にフィルモア大統領は選挙に敗れフランクリン・ピアース大統領... 2015年8月14日
幕末 西郷隆盛~誰からも慕われる明治維新の精神的支柱~ ~西郷隆盛の基本情報~ 生年:1828年1月23日 没年:1877年9月24日 享年:49歳 藩:薩摩藩 藩士の最下層の身分として薩摩に生まれる 隆盛は1828年1月23日、薩摩国の御勘定方小頭の西郷九郎隆盛の第1子として生まれました。 西郷家は藩士としては最下層の身分でした。 隆盛が暮らしたこの下級武士の居住区からは... 2015年8月3日